インドの話 1_7

 

朝「ニューパピロン」へ行く途中、なすび君に2階のベランダから呼び止められる。葉っぱ全開の人なので引いてしまうのだが、断ってもあれだし、部屋にお邪魔する。

 

 

 

「昨日から絵描き始めたんだよねっ!」もちろん、キマッている時に描いた絵だ。作品名は「MAITONOWAKARE」だ。ボールペンの殴り描きにしか見えないけど「これマイのおっぱいなんだけどね、こんな形してたんだ」色々説明してくれた。

 

 

 

普段は出来ないじっくり考える事が貴重だと思う私と、毎日ドラッグパーティでハッピーでいいやんという彼が、同じテーブルにつく事もインドならでは。私は彼のラクガキに押されっ放しだったが、一言「ウォークマンなんか捨てたら?」と言ってあげた。「なんでっ?」風貌に似合わず、どきっとされていた。東南アジアを数ヶ月放浪してきた彼を少なからず尊敬するけれど、やっぱり葉っぱ常習者は生理的に無理だ。

 

 

 

カシミール土産店Aで店主とフランス人マダムと世間話。マダム「日本人はヨーロッパを駆け抜けるようにして旅行している。それはロングホリデーが不可能だからよ。けれど最近の世代はのんびり旅行するようになっていると思う」私「本当その通りで殆どの日本人はロングホリデーを取る事が出来ない。インドに長期滞在している日本人はたいてい学生か無職よ」カシミール人店主は「日本人がショートホリデーしか取れない」という事実に、今日1番の「信じられない!」という表情になった(笑)。

 

 

 

10年以上、ここで商売しているというカシミール土産店Bでは「最初はカシミール土産店は2店舗だけだったのに、どんどん競争が激しくなって来た」との事だった。

 

 

 

私は1つ聞いてもらいたい話があった。カシミール土産店Cの事だ。馴れ馴れしく強引に店に引っ張り込んでおいて、私が「欲しいものは無い」と言うと「じゃあ、どうして店に入って来た?お前はクレージーか?」と頭くるくるポーズをされたのだ。このカシミール人店主Cは、瞳がとってもピュアなので「売りたい!」感情をコントロール出来ない不器用なだけの男だと思うが「いかんせん、あれでは日本人相手には商売できないよ、日本人は強引な誘いに断れない性質があるもん、彼はビジネスの方法を変えるべきだと思う…」「そりゃあ無理だよ。彼はフレッシュマンなのだから!」

 

 

 

またカシミール土産店Dの3人兄弟は、日本で何か働き口が無いか、熱心に聞いてくる。家賃高騰に耐え切れず、今季限りでマハーバリプラムから撤退するというのだ。「日本語に精通していないとしても、食品や機械のライン作業とかならあるだろうけど。しかし、日本で働いて、たくさんのお金を手に入れても、それが幸せかどうかは分からない。生活習慣が違いすぎて、逆に不幸になっているかもしれない」私はロングホリデーの件を思い出していた。「お金が必要だ」揺るぎない答えが返ってきた。

 

 

 

今日は1日中話していたような…。徒歩10分圏内に、呼び止められる知り合いが私でも7店になった。疲れる時もあるが、そのメインストリートを避けない私がいた。

 

 

 

柿と飯。彼は今日のお昼頃マハーバリプラムを出発するという。行き先はネパールの「カトマンズにうまいカツ丼があるらしいんよ!」実に楽しげに話してくれた。彼が今日旅立つ事は、この街の15店ほどが知っているんではなかろうか。私がカシミール土産店や彼の泊まっているホテルのスタッフと話すようになったのも、そして来年南インド~カルカッタ~ネパールを旅する事になったのも、彼と行動を共にした影響だ。「インドの魅力の1つはインドで出会う日本人にある!」と思い込んでしまうほど、それぞれの日本人から実に多くの事を学ばせて頂いたと改めて思うのであった。

 

 

 

「もうマハーバリプラムでする事も無くなったな…」と思った時、ある怪しい店を思い出した。タイガーケーブへ行く途中に見かけた、やや街外れにあるアートギャラリーの事だ。似たり寄ったりの土産店が多い中、ここは怪しい木彫りがたくさん並んでいて異彩を放っていたのである。絶対行こうと思っていたのに忘れてしまっていた。

 

 

 

正直に言えば、センスが凄すぎて少し不安があった。私「店主がヤバそうだったらスルーだな…」店主(おじさん)は坊主だった「はい、パス!」素通りを決意。しかし木彫り達が私を惹きつけて引き戻す。おじさん(35)は優しい瞳で迎えてくれた。

 

 

 

「木彫りは高いし重いから…」インスピレーションが走ったら(走ったんです)もうそんな事は二の次だ。だけど、どれぐらい買うかにはまだギャップがあった。おじさんは隣にアトリエを拡大工事中で「ファン取り付けに6000ルピーかかる。あともろもろで10000ルピー必要なんだ!」ととにかく大金が必要な事をアピールしてくる。私もいくらか歩み寄って協力したいんだが、もう帰国間近でルピー残高の最終調整段階に入っているので、両替もしたくないし明日でちょうど使い切りたいのだ。

 

 

 

木彫り3品をおじさん提示の3200ルピーから1500ルピーにまでディスカウントしてもらい購入決定。一等地へ移転し、海外雑誌に掲載されもした現在から考えると(自分でまけさせておきながら)信じられない破格値だ。それでも、この日はお金が足りなかったので、今日明日の分割払いという事で3品のうち1品だけ持ち帰る。

 

 

 

昨日の残りの取引を済ませる為に、ギャラリーのおじさん(セカー(Sekar))を再び訪れた私は、彼の熱意に押されて衝動で追加買い(2個で2500ルピー)をしてしまった。私「これ以上買うと郵送になってしまう。そうすると、郵便局へ行かなければいけない。郵送方法もよく分からないし、料金も高そうだから、何も最終日にそこまでして買うつもりなど無い、また来年!」しかし、セカーはよっぽどお金が必要なのだろう「NextYearじゃ駄目なんだマサト!1000ルピーもあれば全部まとめて郵送できる。きちんと梱包もする。郵便局同行して郵送手配もする!」

 

 

 

「マハーバリプラムの郵便局で出すよりもチェンナイ中央郵便局で出したほうが確実だ」という事で、急遽チェンナイに向かう事になった。マハーバリプラムのみんなには「夕陽を見てから出発するよ」と言っていたのに昼時の慌ただしい別れとなった。

 

 

 

午後3時、我々3人(セカーと彼の知人のおじいさん)の乗ったバスはチェンナイ中央郵便局へ到着した。おじいさん「ECRバス(急行)だったから普通マハーバリプラムから2時間かかるところを1時間で着いた!ベリーラッキーね!」後で分かったが、この郵便局4時で閉まる。「間に合っていなかったら…」と思うと空恐ろしい。

 

 

 

セカーは「日仏両国に弟子が活動中で、アメリカなど世界各国に顧客を抱えている」と言っており、手紙や記事を見せてくるほどで、当然国外発送業務も手馴れたものだ「って、あんた、さっきからおたおた行ったり来たり…たらい回しされてるやん!」

 

 

 

しかも、航空便だと2ピースで2000ルピーするという。あれ?「5ピース全部合わせても1000ルピーで足りる」という話だったのに?残高2000ルピーしか持っていない私は、船便1500ルピーを選択せざるをえない。かつ、残りの3ピースは担いで持って帰らないといけないぞ…。「重いから高くなったな、てへへ!」もうあんまり怒る気にもなれない。セカーはどう見ても頑張って手配をしてくれていた。

 

 

 

例え相手に非があるとはいえ、自分の荷物の手配を他人に任せて不貞腐れていられるというのは幸せな事だ。彼らがどたばたしつつも「何とかしてやり遂げてくれるだろう」という信頼があるからだ。自分を反省しつつ感謝して、彼らとは路上でお別れ。

 

 

 

こういうわけで避けていたチェンナイに舞い戻って来てしまった。深夜のフライトまで、まだ8時間もある。私はとりあえずエグモア駅に向かった。42日前、この駅前のホテルに宿泊して以来だ。駅の入口付近に腰掛けた。42日前の記憶はもう遠く、駅前の雑踏風景もただただ退屈だ。退屈……?私は道路を隔てた歩道を誰かを探すようにぼんやりと見ていた。カメラは最後の1枚が切られる瞬間をずっと待っている。

 

 

 

 1.チェンナイ       2泊

 2.カーンチープラム    1泊

 3.マハーバリプラム   10泊

 4.ポンディチェリー    2泊

 5.チダムバラム      1泊

 6.タンジャヴール     2泊

 7.ティルチラパッリ    3泊

 8.マドゥライ       3泊

 9.ラーメーシュラワム   3泊

10.カニャークマリ     5泊

11.トリヴァンドラム    1泊

12.ヴァルカラ       5泊

13.クイロン        1泊

14.アレッピー       1泊

15.コーチン        3泊    合   計   43泊

 

 

 

 1.コーチンからの国内線飛行機の座席が自由席だった

 2.下半身露出した老婆が体育座りでバクシーシを迫る

 3.早朝フロントで布袋に蹴躓いたら、睡眠中の従業員が悲鳴を上げた

 4.ビーチで排便

 5.🍇にごきぶり

 6.ホテルの部屋にいたずら無言電話が何回もかかってくる

 7.朝6時に「ティーor珈琲?」とドアノックされ続ける

 8.チャンネル0番や0階が存在する

 9.グリーンサラダという名の生玉葱

10.交尾中の象がモチーフのハンカチ

 

 

 

2001_06                              2002_01