インドの話 2_13

 

ダンプス → フェディ    40分 徒歩

フェディ → ポカラ  4時間20分 徒歩

 

 

 

今日は辺境ツアー最終日、ただただひたすら歩いてたような気がする。この5泊6日辺境ツアーでトータル20時間ぐらい徒歩。最後はちょっと無茶しすぎた、と反省。

 

 

 

ポカラに入ったら「マウントフジモモ」へ直行。飢えていたのは、日本食でもチョコクロワッサンでもなく漫画喫茶だった!!するとそこにはまったりとして漫画を読んでいるクニさん・ミキさんの姿があった(笑)。ポカラが快適すぎるのが悪いんだ。

 

 

 

 

ホテルの場所と料金を見直す。レイクサイドからダムサイドへ、1泊200ルピーから70ルピーへ。数泊分の差額も活かしてチベタンからアクセサリーを買い込もう。

 

 

懲りもせず、私はまたカシミール人宅で夕食をご馳走になっていた(第3R)。「若い人はいっぱい食べなきゃいけないよ!」みたいな感じで執拗におかわりを勧める親父。彼の親切とは全く違う形の「昼食を抜いてまでして、お腹ペコペコにしておく」という親切もこの世にはあるんだ!親父は相変わらずだが、今日は娘(9)が私に構ってくれたので嬉しい。以前は私を無視して横にゴロンとなってテレビ見てたのに。

 

 

 

20時30分、親父「うち泊まってくかい?それとも部屋に戻るかい?」「戻るよ」「9時からカーフュー(戒厳令)だ。気を付けろよ!」またか、私は慌てて帰った。

 

 

 

間違いなく私は今ポカラで1番ストイックな男だ。たかだか数キロ痩せたいが為だけに、空腹を1日中我慢している。根性無しの私はお腹の贅肉を掴んで「1生のうちでこれが1瞬であれ無くなる事があるだろうか?(いや無い)」と思った事があった。1時的減量はあっても、それを維持し続けた経験は今まで1度も無かったのだから。

 

 

 

あらゆる欲求を刺激し、それをすぐに満たす事が可能な日本で、非常に大きな忍耐を伴うダイエットが出来るほど意思は強くない。おそらく今しかないのだ。5泊6日の辺境ツアーで歩いた苦労を無駄にしたくないのだろう、私のダイエット活動は始動しそして今も継続してしまっている。残念ながらポカラには体重計屋さんが無いので体重は測れないが、それも後のお楽しみとして励みにするのだろう(インドやネパールには、路上に体重計を置いて商売をしている人がいる。2ルピー程度のお金を払って体重計に乗る。駅ナカには、自動販売機ならぬ自動体重測定機がある場合もある)。

 

 

 

朝食後、2時間ほど散歩。ヒロコに持ってきてもらったポカリ粉末は大変重宝する。

 

 

 

自転車を借りて、ポカラ近郊のベグナス湖までサイクリングに出かける。はるか彼方まで伸びるストレートは快適だ。バイクで旅している西洋人らとすれ違った。彼らも気持ち良さそうだ。ライダー魂が疼かないのは、私がバイクメンテできないからだ。

 

 

往路はとてもペダルが軽かった、実はそれは道路がごくごくわずかに傾斜していたからだ。しかも数キロメートルに渡る下り坂。帰路、私は決定的に痩せたと思われる。

 

 

ベグナス湖畔に着いたら、ちょうど水死体(16)が引き上げられていた。衆目の中4日経過した遺体がバスに乗せられて行く時にちょうど出くわしてしまった。遺体が目に入った刹那に死臭が襲ってきた、頭で理解する前に既に嘔吐いてしまった程の。

 

 

 

この国にも受験生の自殺があった。合掌。禍々しくこの世のもので無いような死臭。コヴァーラムでは溺死しなくて良かった。私の遺体は沖に流され見つからなくとも。

 

 

 

午前、外は雷雨。ホテルに置いてある「文藝春秋」の寿司巻頭グラビアがたまらん。

 

 

 

午後、雨は止んだ。約束のランチを呼ばれにチベタン村に行く。取引相手のおばちゃんが私を招待してくれたのだ。もちろん手作りチベット料理だ。だが、それは異文化コミュニケーション(料理編)にありがちな「ノー」と言いづらいランチとなった。

 

 

 

 1.ドリンク    チベタンティー!「最初は抵抗ある味(歩き方)」というか

           苦手な味。バター&茶という、挑戦的な組み合わせに脱帽。

 

 

 2.ヌードル    鍋の中でノビきってぐでってるタントゥック(うどん)だ!

           だめだ、だめなんだ、うどんだけは超うるさいんだ、私は。

           うどんのおかわりを薦められた時は、眩暈感後断固遠慮候。

 

 

 

同じ宿の日本人、北山さん(28)。大阪からで坊主頭とくれば、やっぱり気さくな兄ちゃんだった。彼は何度かネパールに来ているらしい。その日の夜、日本人の先生宅へ行くというので私も一緒に行く。その先生は、どうやら学校を所有・経営されているようだ。高齢で車椅子生活という事もあって、パールバティ(19)さんが身の回りの世話をされている。一緒に夕食を、というお誘いでタクシーに乗車。後部座席でパールバティの巨乳とインド圏特有の体臭(不快ではない)が、私らを圧迫した。

 

 

 

昨晩の日本食レストラン「古都」があまりにおいしかったので、今日もそこで。その道中、1人のネパーリーに声をかけられた。いきなりご親切に「うちでランチを食べていけ」と言ってくれるが断る。お腹を空かせたまま「古都」で食べたいし。「じゃあ、ティー飲もう!」妥協してOK。私はミルクティー、彼は水(支払は私………否私は成長した!)。「 Thank you for giving me tea! 」明らかに私が支払う流れにも拘わらず、彼の肩をぽんぽんと叩いて爽やかに立ち去った。

 

 

 

「古都」には、同じく味を占めたのか北山さんも既にいた。彼はこの旅が終われば医者になるべく再び大学へ戻るそうだ。30歳からの再スタート、知性や学力・行動力に加え、実家は相続税が発生するほどの資産家だという彼、進む道には何の障害も無いだろう。きっと10年後には立派なドクターになっているに違いない。不安があるとすればただ1つ、彼の旅はまだまだこれからアフリカまで続くという事ぐらいだ。

 

 

 

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