インドの話 2_6

 

タンジャヴールに到着。ブリハディーシュワラ寺院だけは、いつ見ても圧倒される。

 

 

 

 

今日、私は2つ学習した。(1)つは「インド人は不機嫌そうに見えても実は不機嫌ではない!」ということだ。こういうのは日本人に対してもたまに感じる事はある。

 

 

 

タオルを買った店のお姉さんとしばし会話。年齢は…やっぱり見た目よりかなり若い19歳だった。(2)「Beautiful」をタミル語で言うと「アラヴァーナ」

 

 

 

 

タンジャヴール  → クンバコナム     1時間30分

クンバコナム   → カダロール      3時間

カダロール    → ポンディチェリー      30分

ポンディチェリー → マハーバリプラム   1時間30分

 

 

 

バス乗りかえを3回してようやくマハーバリプラム到着。乗りかえ自体は面倒なのだが、ゆっくり休憩が出来るのでいい気分転換になる。もっと長距離を走るバスだとトイレ休憩に置いてきぼりにされる心配があるので落ち着いて休めない。そして改めて実感するバスの最も素晴らしい点は、予約しなくても乗りたい時にすぐ乗れる事だ。

 

 

 

マハーバリプラムは昨年長居した街で、顔見知りのインド人もそこそこいる。木彫りのアーティスト・カシミール系土産店・ホテルスタッフなどなど。この街に入る時は「いっちょトークするか!」と気合を入れて臨むようにしていた。ストリートを歩くと絶対こういう人々に呼び止められ、道端でトークがスタートする。その気の無い人には鬱陶しい街である。そして私もその気の無い人に属していた。彼に会うまでは。

 

 

 

私は昨年ここで柿田さんという日本人に出会った。彼は英語がからきしダメなのに、インド人らと明るくコミュニケーションをとっていた。「このストリート通り過ぎるのに5時間かかった!」それは誇張ではない。私は彼の影響で、一緒にトークで時間を潰すようになっていった。それがこの街での柿田さんや私の過ごし方だったのだ。

 

 

 

あぁ、Statue買ってしまった!!合計10000ルピー。これは運命に違いない、少なくとも彼セカーはそう思っているはずだ。だって銀行から差押予告が届いたまさにその日に、私というお得意様?がひょこっと1年ぶりに姿を現したのだから。

 

 

 

昨年の彼は、私の見る限りでは制作活動に精力的なアーティストだった。ところが帰国後「困った事に手を骨折した。援助してほしい。振り込み先はこちら!」と手紙。

 

 

 

私は彼の骨折状況をこっそりチェックした。確かに変な方向に曲げる事が出来るようだ。嘘ではなかったのかな?ま、本当だったとしても、振り込める訳では無いけど。

 

 

 

「銀行からの借金が25000ルピーも残っているし、個人からも借金している。このままじゃ自殺だ!」どうやら状況は、かなり切実なようだ。そんな深刻な内情をインドで打ち明けられるのは初めてだ。こりゃいくらか買わなきゃいけない流れだな。

 

 

 

普段は金をせがまれても無視!だが、彼はこの1年の間に私好みなスタチューをいくつも作っていやがって、とても無視できるものではない。なんと銀行はこの作品まで差し押さえると通知で脅しをかけてきた。その前に俺が差し押さえnever移管!

 

 

 

私は諭すようにゆっくり言った。I can not give you money.  But I can pay money. 銀行が来る前に、買えるだけ買って船便で送っちまおう。キャッシュが欲しい相手とほどやりやすい商談はない。現状を鑑みるに、明らかに彼にはまとまったお金が必要だった。「1体だけ買うよ。2000ルピーでどう?」などと焼け石に水な事は言わない。張りは駆け引き無しで最初っから10000ルピー、これが今の支払限度額。

 

 

 

私「ところでいくついただけるのかな??」

セ「マサトーは、どれが好きなんだい??」

私「これとこれと、えーとあとこれとこれ、アンドこれも好きだな!」

セ「Oh!No!このガネーシャだけでも8000ルピーするんだお」

私「えー!?買うのやめざるよっかなー。」

 

 

 

無事に商談成立。梱包を済ませ、明日はチェンナイの郵便局行だ(船便手続の為)。

 

 

 

 

 

 

セカーらとタクシーでチェンナイの大きい郵便局(HPO)を訪れる。HPOには梱包作業をする外部業者が常駐しているようで、そこで私の荷物は開封して再梱包される事になってしまった。テロ等の影響でチェックが厳重になっているのだろう。あいにく梱包セクションには先客が大勢いて、とても時間がかかりそうだ。段ボールと布で覆って糸で縫うという作業なのだが、業者はたった2人のおっさんだけのようだ。

 

 

 

しかし時間がかかるのは、人手不足というよりも「インドだから」だった。先客の荷物梱包現場を見ていると、結構長い時間、段ボールの切れ端をあーでもないこーでもないと荷物にあてがってはまた外して、上手に多角形にならないか試みている。1メートル弱の円錐形のその荷物は不安定で不規則だから、切れ端のベストコンビネーションを見出すのに20分以上かかっても「うんうん(笑)しょうがない(怒)」しかしそのおっさん、裁縫は得意のようで縫うのはめちゃくちゃ速い。わけわからん…。

 

 

 

こうして、HPOには3時間以上いる破目になってしまったが、これでもセカーに言わせると「俺の国家認定アーティストのライセンスを見せたら、途端に手続きがスムーズになった!」らしく誇らしげだが、いつスムーズに切り替わったのか私には全く分からない(笑)。ともかく、彼らは食事もとらずに郵送手続きを行なってくれた。

 

 

 

となると食事が怖い。暗黙の常識で(支払は私)だ。10000ルピーで既に支払限界に達している、これ以上出費できん。次は列車のチケットを取りに行く予定だったので「あとは1人でやるよ。サンキュー!」と一応逃亡を試みたのだが、彼らは待っていてくれた!どうしても私とディナーを食べるつもりだな!「マサトー、お金はおろさなくていいのか?」とセカーは意味不明な事を尋ねてくるし。「必要なし!ご飯はそこの食堂で!」ディナーは4人で200ルピー(支払は私)。なんとか耐えた。

 

 

 

帰路、セカーのおじさんの家へ寄る。とても豊かとは言えない生活だが、おじさん達と明るく話していたら唐突に「マサトー。100ルピー彼らにやってくれないか?」

 

 

 

「……なぜ?ノーノー!」お金をあげる理由を聞くと「いやー、ハッピーになったかなぁと思って」と奴は答えた。出た!インドでも「♪♪幸せなら金あげよう♪♪」理論!

 

 

 

この後、セカーは持病のストレス性胃痛の治療の為、チェンナイ市内の病院へ、一同同行。ここではナースの事をシスターというようだ。褐色のインド人ナースってなかなか迫力ある…。私は点滴液が尽きるまで患者さんを見守るというとても簡単なお仕事。午後10時「シスター!点滴終わったよー!どこー?シスター!シスタァー!」

 

 

 

マハーバリプラムを去る前に、最後の挨拶まわりをする。馴染みのカシミール土産店の店主RAJが、得意の占星術を駆使して旅立つ私にアドバイスを授けてくれた。「

 

 

 

うん、彼女はきっと君をリッチにしてくれるだろう。ただ、君は性格がLazyだなそれが問題だ。だが今Lazyだからと言って、まだ不可能と決まった訳じゃない。

 

 

 

Change!そう、自分を変えればいいのさ、君次第なんだ!いつも心にエナジーを持ち続けるんだ!どれ、このクリスタルを強く握ってごらん。彼女の事を想いながら強く握るんだ。ん?こいつは、エナジーに満ち溢れた人間が握ると熱くなるんだ。

 

 

 

いいかい、君はこれから北に向かっていっても、手紙を送るなどして常に彼女とのコンタクトを保つんだ。少なくとも1年ぐらいはね。それにプレゼントも欠かしてはいけないね。まずはジュエリーだろう。……ノー!!全然ヘビーじゃないよ、それは!

 

 

 

どれ、クリスタルを見せてごらん。……ふぅ、やっぱり冷たい(笑)。エナジーが弱く発散してしまってるね。エナジーを心に留める必要がある!(ショーケースから取り出したタイガーアイを握り)これからはこのストーンが君を手助けするだろう!」

 

 

 

心強い石をぶらさげて、いよいよ新天地カルカッタへ…。

 

 

 

午前8時半、チェンナイセントラル駅に到着。私の乗る列車は既にホームに待機していた。各車両には1枚の座席表が貼られていて、私の名前があるのを確認後、着席。

 

 

 

この旅で最長となる28時間の鉄路での移動が始まった。

「北は怖いぞ!だが、今の俺が気を緩める事は無い!!」

力強い意志を引っさげて、いよいよ新天地カルカッタへ!

 

 

 

 

 

 

2002_05                              2002_07