うどんの話 5

 

うどん修行の時は、麺の厚みや切り幅が一定になるように厳しく鍛えられるが、安定して機械的に麺線が揃えられるようになると「多少不揃いなほうが手づくりらしくてよい!」と指導された。手打うどんの特徴として(1)毎網、茹で時間が異なる、食べた印象が前回と違ってしまう可能性があるというデメリット(2)熱いうどん・冷たいうどん・個人の好みに応じて、より適した麺線を選べるというメリットがある。

 

 

 

鍛え育てて本物になる。1回目の生地踏みは優しく、2~3回目は1回目とは違ってしっかり力を込めないといけない。また、その日その日で状態が異なる。相手の状態を感じ取り、望むように育ててやらねばならない。「いくら優しく踏んでも両足踏みでは一瞬で全体重がかかってしまう」と独立後に考えた私は、片足で踏む事にした。「私の全体重がベストな荷重?コムギがヒトにとってそんな都合のいい訳が無い…」

 

 

 

この時期は、麺の茹で時間と冷水の締め方と麺の厚みにいつも以上に集中して、調子の悪さを最低限に抑えつつ、どこが悪いのかを検証する。「今日は塩度と加水率を上げて生地を寝かす時間を長めにとってみよう」等、試行を繰り返す。うどんに対する熱意を問われるかのように、毎回なかなか解決しない。「より良い小麦を探すのは大切だけど、その前に、毎日の作業の中で、疑うべき点・試してみる事はまだまだある筈だ。今まで深く考えないでも、この素材達だけでいいうどんが出来てたんだし…」

 

 

 

「踏む」という行為、それは同じ足偏の漢字「蹴・躙」を見れば分かる通り、相手を虐げる気持ちが内在していると思う。しかし、うどん踏みにおいては生地を思いやる事はとても大事だ。頭では分かっていても、毎日踏んでいればいつの間にか疎かになる。何故、毎年毎年、凝りもせず同じような過ちを?それは「踏むとは相手を思いやらない、本能的にもともとそういう行為だからでは?」というのが最近の気付きだ。

 

 

 

ハイペースで食べ歩きを続けた結果「おいしくなくても食べるというマナー」が守れなくなってしまった。腹が立って気に入らないからではなくて、口の中が気持ち悪くなってしまうからだ。「1日10店以上、お腹すいてなくても食べ歩き」という人としてどうか?という行動がもたらしたデメリットだ。とりわけ、それまで美味しいと思っていたあるうどん店に、修行後再訪して衝撃を受けて以来、もはや1人でうどん店に入れない。いい事もある。ギリギリの食べ歩きで得たセンサーは、自分の打ったうどんの評価にもシビアだ。スランプ脱出まで妥協させてくれないので憂鬱だけど。

 

 

 

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