うどんの話 4

 

店の前を通り過ぎても気付かないうどん屋は初めてだ。店には宅急便の看板があるほかは何も目印が無い。いや、よく見たら、〇〇製粉とかいてある空の紙袋があった。運が良ければ「製麺店」と書かれている軽トラが停まっているようだ。店内に入ろうとしていた常連?のおばちゃんに不安気に「ここうどん屋さんですか?」と尋ねた。

 

 

 

入ってまず、メニューの確認をしたかったが、どこに書いてあるか見つける前に、おばちゃんに「一人?」と尋ねられる。焦る素人が本で見聞きした情報だけでいきなり「ひやひや」とか「あつあつ」とか言えん!とっさに目についた醤油うどんを頼む。注文後も挙動不審な私は「すわっとって」と言われて、雰囲気に飲まれてしまった。

 

 

 

「昨日の俺とは一味違うぜ」だが一味しか違わない私は、今日も律義に誰も停めていない駐車場に車を停める(ブーム前でまだまだ路駐に寛容だった)。堂々と入店して「あつあつ」を注文。そして小皿を手にして、天ぷらを取りに赴くという完璧な振る舞い!食べた後に、メニュー表を見ていると「おかわりする?」と話しかけられた。

 

 

おばちゃんA「どこからきたん??」

私       「うっ!!!!なんでよそ者て分かるん?」

おばちゃんA「車にうどんの本があった」

おばちゃんB「覗いたんか??」

おばちゃんA「いや、いっつもうちが停める所に停まっててん」

 

 

 

律義な私は、会社のお土産に「さぬきうどんせんべい」を買ってますますさぬきブームを巻き起こそうと画策していたので、わざわざ高松空港まで行って駐車場にお金払ってまで、3箱買ったのだった。駐車場のおじさんは、私が高松発でどこか行くと思っていた。確かにせんべい買いに来たとは誰も考えないだろうし、私も恥ずかしくて言えん。1時間もせずに戻ってきた私に、駐車場のおじさんは親切にいろいろ話しかけてくれた。ツーリングで、しまなみ海道から四国に来ていると話していると、話題が「うまいうどん屋教えたる」という方向へ。「S級10店制覇したにわかな私になんて話題を…」と思ったが、それは聞いた事も無い「はったんじ」という店だった。

 

 

 

「歩」のある路地は、きっと昭和30年代はこんなんだったろうなぁという雰囲気であった。炎天下の中、焦げそうなタクシーが停まっていて、その前にバイクを停めた私は、じりじりする日差しの中、泳ぐように店に入った。ぶっかけを注文して待つ。

 

 

後から来た貴婦人(かなぁ)は、わかめうどんとおにぎりを召し上がっていらっしゃる。食べ終わっても、まだ汗が湧き出る私は、お茶と新聞で何とかして暑さを紛らわす。店を出て、ふと路地の彼方に目をやると、さきほどの貴婦人が日傘を差して歩いて行くのが、陽炎でにじんで見えて、異世界に入り込んだような虚無感に襲われた。

 

 

 

確かに店らしき建物があった。車が一杯停まっているので、はやっているようだ。私は、このうどんや(推定)から出て来た客に尋ねた。「あの、ここ松岡いううどんやですよね?」そのおじさんは、振り返ってみた後、少し間を置いて…うなずいた。それはもう絶対に「おっさん、適当やろ!!」と突っ込みたくなるリアクションではあったが、店名もおぼつかないまま通っている彼を微笑ましく思いながら、私も入店。

 

 

カウンターに座って、威勢良く「かけ」を注文、茹で上がるまで待つようにと言われる。「威勢よく注文する人はすぐ食べるつもりなのだな」と我ながら気付かされた。

 

 

もう少しで食べ終わるという時になって初めて「食べた後、この丼どうしたらええんや?」と焦って周りの客の動きをチェックするも、もはや先客はみな出ていった後だった…というのは、誰しも経験があるだろう(慣れてくると事前にチェックする)。

 

 

 

2,3人の行列の最後尾に並んた。全店制覇に出ていた「ひやしころ」をお姉さんに注文するも無視…。並んでいる時に頼んでもだめらしい(後日うどんの食べ歩きブログを見ると、並んでる時に注文するのはマナー違反と書いてあった)無視はないだろうと思うも、よく見るとお姉さん達も緊張しているようなぴりぴりとした雰囲気だ。

 

 

張り紙「ネギをこぼしたり残したりしないこと。ひどい場合には5000円いただきます」を見て、私は一気に緊張した。そしてここが肝心な所だが「この店なら本当に5000円とるな…」と確信させる雰囲気が充満していた。私の番が来た。ひやしころを頼む。ネギを載せようとしたその瞬間、私は驚愕するものを見た。むっちゃ長い菜箸がある!!きつねアゲが入っている長方形のバットの対角線を越える長さの菜箸だ。私はその箸が使いたいが為だけに思わずアゲをトッピングしてしまった。「きっとこの店はネギだけでなくアゲを落としても5000円取るに違いない!」と勝手にプレッシャーを盛り上げる私。ネギを載せるのにこんなに緊張した事はいまだ無い。そして、取りづらくさせて取らせてしまうこのアゲ箸は誰も思いつかないと唸った。

 

 

 

川沿いリバーサイドに増井米穀店はあった。ここかな?と思ってそこだったという予定調和なひと時を過ごし、私は店に入った。「外に出て食べたいな」と思った矢先にそこにトラックが停まって、おっちゃん、エンジンも切らずに入ってきた。「あー、外で食べたかったのに…」と思っている間におっちゃんは食べ終わって出て行った。

 

 

 

実に1年振りの池内。短いようで長く、かつて私はこの細い通路を突き進んで本当にうどんを手に入れることができたんだろうかと、思った。もう今では、あの細い隙間を通り抜ける事も無く、路地から入るのだけれど。寒かったので、温かいうどんにした。1年前に来た時よりもおいしかった。それでもう十分であった。なのに、また今回もうどんとそばをブレンドして食べているサラリーマンに遭遇した。さすがに認めなければならない。これが讃岐のリアリティなのだと。でもやっぱり納得いかない。

 

 

 

I川「山崎、おまえ会社の人と一緒にうどん食べに行っとるけど、よう平気やな?」山崎「え、何が?」うどん仲間のI川さんは私を理解不能のように問いかけてきた。川「会社の人と行ったら、せいぜい1日で5軒か6軒やろ。もっと行きたいやん」

 

 

 

メニューの中から、モーニングのAセットを注文する。内容は「トースト・サラダ・ゆで卵・ドリンク・フルーツ・うどん」と盛沢山だ。選べるドリンクはホットコーヒー。うどんに一番似合わないドリンクは、ホットコーヒーをおいて他に無いだろう。うどん→トースト→コーヒー→うどんとリズムよく食べると不思議な感じに陥った。

 

 

 

「はなや」は一度行ったことのあるI川さんの案内で行った。他人に案内されて行くうどんやは久しぶりだ。いつもは案内する側だが、立場が替わっても、やはり連れられて行く道中には物語が無いと思える。「探す」という行為をしなくていいからだ。

 

 

はなやは、昔風のたたずまいを今に残しつつも、斬新なメニュー「ドナうどん」を擁しているバランスのとれたうどんやだ。ただしバランスの両端は標準からほど遠い。黄色いコロモの名物「手長だこの天ぷら」を揚げたてで頂いた。この手長たこは足と頭をいっしょに食べると、頭の濃厚さと足の噛み応えが同時に味わえてえもいわれぬおいしさだ。ただし頭の数は1つなので、同時に楽しめるのはせいぜい2口だけだ。

 

 

 

最近は、ロケーションの凄い新規の店に挑戦していなかったせいか「うどんやなんて簡単に見つけられるさ、と思い上がっていた!」と反省した私は、諦めて道を尋ねることにした。軽(自動車)だから、街中だからといって見つけやすいとは限らない。

 

 

 

ここまで新規の店ばかり行ってきた私は、この勢いを借りて一番ハードルが高い「岩田屋」に行くことを密かに決心していた。午前6時に道の駅「観音寺」で車中起床。ここから、徒歩5~10分のところに岩田屋がある。住宅地図みたいな看板で「岩田屋製麺」を確認。ついに来てしまったのだ。優柔不断な私は、岩田屋に入るのを躊躇してウォークスルーしてしまう事を懸念した。出来れば何も考えずに飛びこみたい。

 

 

吸い込まれそうな薄暗い奥行きに多少とまどったが、何となく先客の気配を感じたのですんなり入れた。おどおどしているうちに薄暗い奥から老女の声が聞こえてきた。

 

 

「食べるんやろ??」

「はい、小ください」

 

 

私の声が小さかったのか、再び聞いてくる。因縁つけられているような気もする(推測)からの3度目の「何食べんねや?」ここで私は確信に移った。「こ、これか…」

 

 

「小ください」

「えぁ?」

「1玉ください」

「だから、何食べんねや?(ため息)」

 

 

声が小さいのか、注文方法が特殊なのか、耳が異常に遠いのか、とにかくこれは超厳しい状況だ。しかし、少し成長した私はこの状況を「うわぁ…。俺って岩田屋の醍醐味味わってんなぁ…」となんとか客観的な自分を保ちながら楽しめている事にした。

 

 

一通りの方法で注文を試みていると、おばあさん、私を無視して手にしていた丼を傍らにおいて、何かやっている。注文が通ったのかどうかも定かでない。愛想をつかされたのかもしらん。この傍らに置かれた丼の意味は?私はついその丼を手にしてしまった。するとおばあさん怒り出して「ここで突っ立っとらんと、座っとき!」というような事を言って、奥のほうへ行ってしまった。その時、店に入って初めて後ろを振り向いた。周囲を観察する余裕も無かったのだ。そこにはテーブルと椅子があった。

 

 

テーブルについた。先客2名、私の後1名、計4人がうどん待ち状態である。4人いるにもかかわらず、みな何かを恐れているように静かである。果たして、私のうどんは出てくるんだろうか、飛ばされて3人分しか出てこんのとちゃうか?と非常に不安な待ち時間である。誰だって、あんなおばあさんの態度見たらそう思うに違いない。

 

 

しばらくすると、うどんが3つ同時にきた(笑)。が、大きさから判断して、大2つと小1つだ。「私の後にきた人は、大を頼んでいたから…。この小は私のだ!!良かったー!!(0.5秒)」うどんは、見た目細めのぼそぼそした感じだ。「全くこんな麺で、あんなえらそうにしやがって…」と思いつつ食べると、これが結構うまい。

 

 

私の推測はこうだ。おばあさんは大の丼を手に準備をしていたが、私が小を注文したもんだから、自分の予想と違って余計に頭にきた、のだと。御代を払う時にはもうおばあさんはいなかった。人は岩田屋に入りながらにして罪を背負っていると思った。

 

 

 

中村は、あんまり愛想がないので、緊張するお店だ。「えーと、丼は自分で取って、差し出す、と。確か冷蔵庫の中に冷たいダシが隠されていたな…。あれ、無いぞ…」

 

 

「冷たいの、そっち」

あ、教えてくれた。冷たいダシは、外に置いてあった「あぁ、もうそういう季節か」

 

 

M野さんが、88箇所巡礼マップにはんこを押してもらおうと、緊張しつつもおっちゃんにお願いすると「貧乏やけん、はんこは無いわぁ」と言われて「卓夫」サインをもらっていた。「むしろ愛嬌のあるおっちゃんやん」。マニアには貴重なサインだ。

 

 

 

「カレーうどん!」

 

 

私はカウンターにつくなり、無邪気に注文した。その時、となりのサラリーマンらが「カレーうどんって、うまいんですか?」と尋ねてきた。私の決め打ちを見て、ついつい聞かずにはおれなかったのだろう。「えぇ、私はいっつもカレーうどんで…」と地元人のような感覚で答える。この後、カウンターにはカレーうどんが8個並んだ。

 

 

高速降りてすぐの讃岐の里を出た後、私は、さらに1軒目にふさわしいうどんやを思いついたのです。山下は、以下のような理由から1軒目にふさわしいと考えました。

 

 

 

 1.確実にうまいので、ツアー冒頭から危険を犯したくない

 2.麺のボリューム感がかなりあるので早めにクリアしたい

 3.うどんのコシが凄い、讃岐うどんツアーは異文化との戦いと再認識

 4.今までに、1軒目という恵まれたコンディションで食べた事がない

 

 

 

ぶっかけは、ややぬるうございましたが、私は冷水機からでてくる氷をうどんにぶっかけて食べる事にしております。氷は思い切って多めに入れたほうがよろしいでしょう。中途半端だと、うどんの温度にむらが生じて違和感を覚える恐れがございます。

 

 

 

小縣家出て、数秒後、柳生屋の駐車場に入った。後続車はびっくりしたに違いない。謎の「かぼちゃコロッケうどん」を注文。かけにコロッケが乗るのは斬新だぞ。うどんを冷に変更したら、アルバイトの娘が確認に来た。「コロッケも冷たくですか?」

 

 

 

今まで数回カレーうどん(並)を頼んできた私達2人だが、今回たまたまカレーうどん(大)を頼んだ。その時、うどんケースには、ちょうどというほか無い4玉しか無くて(最大16玉ぐらい入りそうなのに)それはそのまま残らず私達に適用された。

 

 

 

早朝の道の駅「観音寺」清々しく張り詰めた空気。うどんツアーにあるまじき緊張感だ。「そんなに嫌なら行かなきゃいいのに」岩田屋へ向かう。この訪問の価値を損なわないように、2人で一緒に店内へ入る事はしない。お互いを頼ってしまって、店の雰囲気や裁きを十分に味わう事が出来なくなるからである。2人はここ観音寺で、岩田屋へ向かう道中で、いきなり赤の他人のように言葉や視線を交わさなくなるのだ。

 

 

まずI川さんが行く。私は外で時間つぶしをしていたが、すぐ後に車で入ってきた常連客らしき方々が不審そうにこちらを見るので、私も決断。時間差はわずか2分程だったが、とても長く感じた。何を隠そう、私も今でも岩田屋はとても緊張するのだ。

 

 

「小ください!!」と体育会系の大声で注文する。これが通れば一安心だ。席に移って、左斜め前にI川さんが神妙な面持ちで座っているが、会話は交わさない(笑)。そしてそろそろ食べ終わろうかという頃、先に席を立ったI川さんが哀れそうにぬっと顔を出して戻ってきた。「お、お金貸して…(泣)」彼は万札しか持ち合わせていなかったらしい。「俺はここで万札なんか出す勇気は無いぞ。もし1人で来て、そんな状況だったら…」この時、私は限りなく赤の他人の気持ちに寄り添う事が出来た。

 

 

 

会計時、バイトの子が皿洗い中でなかなかお勘定に来てくれない。お店を出る時、後ろのほうで、大将の指導がかすかに聞こえてきた。「お客さん、待たしたらあかん」

 

 

 

長田から山越へ向かう間、車内のエアコンの温度をいつもより少し高めにした。体の火照りが冷めないうちに、冷かけをおいしく食べ切るのだ(冬でも冷やかけな私)。

 

 

 

真っ白な暖簾が客に好印象を与える店構え。中は食堂風の古ぼけた感じ。いるのはご主人1人だけで、もううどんの製麺や茹では終わっているような雰囲気の昼下がり。

 

 

注文した「かけ」はカマボコも入っていて見るからに庶民版かけうどん。あんまりうどんがいきいきしてなさそうだと思ったが、時間帯を考えれば十分においしかった。

 

 

近所だろう女の子が入ってきて、かけ(大)を頼んだ。小学校高学年ぐらいの女の子がおやつ代わりに大盛うどんを食べる。その注文をごく自然にこなす店のご主人。そしていつもと同じように(多分)お金を払って出て行った。やっぱり香川はすごい。

 

 

 

高松を起点とするうどんツアーを組む時、どこで夜を明かせばよいかが長年?の課題だったが、屋島健康ランドの駐車場は結構アクセスが良さそうだった。ただトイレが無いので、最寄のコンビニに行くか、緊急を要する場合は入国してしまうしかない。

 

 

しかし、アクセス良好どころか高松市内にはひどい渋滞が待っていた。中西まで行くのに1時間くらいかかって8時半ごろの到着になってしまった。時間帯のせいか、唸るような麺は出てこなかったが、相変わらずその潜在能力はむにむにと歯に伝わってきて、次回への期待が高まる。そして、その時私がすべき事は単なる早起きである。

 

 

 

うどんツアーの1日の流れが大体決まりつつある。まず朝から昼にかけて連続的に4軒ほど行く。昼になってお腹が膨れて「これ以上はおいしく食べられない」という段階になると、休憩だ。そして夕方から夜にかけて、また連続的に巡るという流れだ。

 

 

この後半戦で行く店は、前半に行く店に比べて元々選択肢が少ない。おか泉・鶴丸(19時~)は夜に残しておきたいから、夕方限定となると更に少なくなってくる。

 

 

しかし、私は今回新発見をした。それは長田と宮武を午前から夕方に移動するというアイデアだ。これは「夕方でも変わらずうまいんちゃうか?」という期待に基づく。

 

 

宮武は、おっちゃん1人だった。宮武ほどの有名店でも、夕方は1人。接客指導といい、無駄の無いシフトといい、ブーム勃発と同時の大幅値上げといい、うどんの味に隠れて誰も話題にしないだろうけど「経営センスがあるなぁ」と意表を突かされる。

 

 

ひやひやは多少の作り置きで、もう少しでBランクへ滑落するほどであった(ま、それでもAなんですが)。「宮武はやっぱり朝に来たほうが無難」という事を学んだ。

 

 

 

いなり・赤飯・餅が2個1皿で色々な組み合わせで陳列されていて、見た目鮮やかでそそられる。私は餅が入った「ぞうにうどん」と「いなり・赤飯」の皿を注文した。

 

 

ぞうにうどんは見た目はかけうどんと同じだ。お店の人、間違えてないよな?と思いつつ、麺をかきまぜると底のほうに餅が1個、隠れていた。「普通、餅2個とかだよな。まぁ2個も食べられへんからありがたいけど…」餅は1発でおなかが苦しくなるので、うどんツアーでここに来るのは危険だ、というか絶対死ぬ。四国長期滞在、かつ今日はこのあと観音寺競輪でも行くかといったゆとりある者しか来てはならない。

 

 

その時、私は気付いた。1個と思われた餅が、実はもう1個隠れていたという事に。 私は、伝説のアトランティス大陸が突如浮上してきたかのような絶望感に襲われた。

 

 

 

観音寺から仁尾へ向かう途中、そろそろ海岸線という辺りに、室本港擁する静かな集落がある。あまりに景観にマッチしない純白の暖簾のかかっている「小浜食堂」へ。

 

 

店内では、金髪のカップル2人が中華そばを食べていた。「へぇ、地元の若い人でもこんな風にここを利用するんだ…」中華そばは確かにうまそうである。地元の人ならうどんより中華そばをチョイスするかもしれない。だが、これはうどんツアーだ。私は座敷で去年のぼろぼろの週刊誌を読みながらくつろぎ、うどんが来るのを待った。

 

 

1時過ぎだというのに続々とお客さんが入って来る。結構はやっているようだ。トイレを借りたい旨を伝えて、奥のほうへと向かうと、おばあちゃんが畳に座って、干瓢を用いた内職(あやとりみたいな?)をやっているのに唐突的遭遇。このまま「高松平家物語歴史館」に持っていっても違和感無いほどの雰囲気に一瞬度肝を抜かれる。

 

 

店を出て港に停めた車へ向かっていると、香川ナンバーやら愛媛ナンバーの車が4台ほど続々とこの路地めがけて入ってくる。おばちゃんたちだ。まさかと思ったが「このへんに小浜食堂ってありますか?」やっぱり!!TJ香川の影響力は大きいなぁ。

 

 

 

いつものようにカレーうどん。今日もカレーとうどんが両方余らずに食べきれそう♡

 

 

突如20名ほどのサラリーマンの団体客。取りまとめ役がきつねうどんでみんなの注文を揃えようとしている時、カウンターに座っていた隣のおっちゃんが「わし、このお兄ちゃん(私)のがうまそうやから、カレーうどんにするわ!!」「むぅぅ、このおっちゃん仕事できる!!!」と私は唸った。鶴丸カレーうどんのブレークは近い。

 

 

 

南インド1人旅から帰ってきた!とりあえず香川でゆっくりさせて頂こう。今回のうどんツアーは「新うどん88箇所巡礼」と「第4回うどん王選手権参加」が目玉だ。余暇が十分ある私は、やむなく(笑)I川さんより先行して四国入りする事にした。

 

 

細い路地を抜けるとしんせいだ。釜出しぶっかけを頼む。玉をせいろにあげたばかりで、わざわざまた1玉だけ茹でてくれた。おお、これが帰国後の初めてのうどんだ!

 

 

インドであれだけ「食いてェー!」と妄想した「おか泉」のざるうどんも、日本に帰国すればすっかり通常のテンションに戻った。「うん、ざるにはまだ寒いなっ」としか感想は出てこない。どうやらインドで発現した食に対する嗜好は、気候による影響が非常に大きかったようだ。あの暑さだからこその、チャイ・カレー、そしてざる。

 

 

「おかせん・あたりや・みやたけー…」

 

 

私は、インド滞在中「うどんや1店につき腕立伏せ1回」というハードな筋トレを自分に課していたことを思い出した。腕力が先に尽きてしまい、長続きしなかったが。

 

 

 

私の苦手な生卵系うどんが巡礼指定メニューに多く組み込まれている今年においては普段は洋菓子派の私もここ岩崎の指定メニュー「わらび餅」に心和まざるを得ない。

 

 

出来立てのわらび餅を食べる為に、20分後に再訪。釜揚とわらび餅の組み合わせ。釜揚は少し時間がかかるそうで「わらび餅は先にもうお出ししますか?」と奥さん。やや大き目のガラスの器にぷりぷりのわらび餅。きなこを丹念にまぶして頂きます。

 

 

大将「スーパーとかで売ってるのと全然違うやろ?」「おいしいです!」頷きかけた私はある事に気がついた。市販のわらび餅なぞ、とんと食べた記憶がございません。

 

 

釜揚がまたわらび餅が胃の奥に追いやられるような出来の良さだ。カウンター付近の椅子に座り込む大将と30分ほどのうどん談義。うどんを食べている途中なので「相槌うってたらうどんがのびてしまうなぁ」とちょっと気になっていたら「地元の人はうどん食べ出したら物も喋らんと食べよるけんのー(私も喋らんと食べたいぞ…)」

 

 

大将は、わずかうどん修行期間1週間のみでうどん店を開店した(1ヶ月間、職人1人営業サポート付)「要はやる気の問題!」そして「教える分には全然構わない!」とも仰っていた。それは私の内に起こりつつある気持ちを見透かしての言葉だった?

 

 

 

「早朝朝イチのすごい麺を食べたい!」そう思って、今まで何回ここに来ただろう。そのたび(寝坊渋滞)まだまだ上があるような気がしていたが、最近は「これでええか」という気がしてきた。標準的セルフ店として肩のこらないおいしい麺と店構え。

 

 

うどん(小)とチラシ寿司を注文した。うどん(大)へはなかなか踏み切れないのになぜかチラシ寿司などのオプション類はいとも簡単に手に取ってしまう。うどん増量分とチラシ寿司、ボリューム的には五分五分だが、リズム的にはうどん増量が勝る。

 

 

つまり、中西うどんずるずるいけて、途中でチラシ寿司食べるタイミングがなかなか無い。うどんと進行を合わせなければならないので、気を使う。私はもうひたすらうどんを食べたいのだ。新聞読みながら。それこそが高松の朝の幸福ではなかろうか。

 

 

中西はその新聞がこれまた数種類そろっていて実に嬉しい。ここで、意図的に「四国新聞」以外を読むようであれば、間違いなくうどんツアーのプロであるといえよう。

 

 

 

この日は珍しく予定が決まっていた。次は三木町「山の家」から長尾町「八十八庵」にまで足を延ばし、塩江町「行基の湯」で1日を締めくくる。こんな天気の良い日はいっそ市街地に下りないで緑豊かな香川南部山中を満喫しようと思ったのだ。琴南方面はよく知っているけど、こっち方面の南部はほとんど知らないのでわくわくした。

 

 

「山の家」の指定メニューは「ヘルシー山うどん」。城山オレンヂ農園の「山のおやじ」(たけしさんまの超偉人伝説で見た)を連想してしまう私は期待を膨らませた。

 

 

私は切り株の1つに座って「ヘルシー山うどん」コーヒー付を頂いた。(中略)おっちゃんたちは法事か何かの帰りに立ち寄ったような感じだ。店のおばちゃんと知り合いのようで、酒やつまみが出された後、宴会が始まった。外に立ちションしに行ったおっちゃん、独活を抱えて帰ってきた。「こいつは転んでも只では起きない(笑)」と仲間に笑われていたそのおっちゃん、おもむろに生独活をめくってかじり始めた。

 

 

 

長尾町をどんどん山奥に進んで行くと、いきなり観光地の匂いのする賑わいが感じられる場所に出た。八十八箇所巡礼88番目の寺「大窪寺」と88番目のうどん屋「八十八庵」が醸し出すこの暖かい安心感。やはり神社仏閣とうどん屋は相性いいのだ。

 

 

マネキンに導かれて入店。巡礼指定メニューは名物「打込みうどん」。トータルバランス(お野菜)が優れていれば、多少のハードル(量多い・麺柔い)は越えられる。

 

 

参拝を済ませ、お遍路さんにも触れて、最後にお腹も膨れた。すっかり心穏やかになった私の隣におばあちゃんが座ってきた。団体様のテーブルから1人離脱してきて、食事の続きを済ませると、また1人で土産売場に向かっていった。この御年でこの個の強さ。無事結願した彼女、そんなにお強いのに何を仏に願う事があったのだろう?

 

 

 

谷川米穀店はいつも行列ができている。しかし今日の行列はすこぶる高回転だった。

 

 

どうやら今日はおかわりをする人々が少ないようだ。しかし、いつもの谷川を見ていると今日のこのスムーズさには違和感を覚える。「もっとおかわりする人が多くてもいいはずだ。もし誰かがおかわりをしてしまえば、連鎖して行列は滞りだすだろう」

 

 

谷川米穀店で使っている「酢」と「醤油」を販売している酒屋をI川さんが聞き出し早速買いに出かける。酢はなんと寿司酢だ(さすが一応米屋)。かつて私は「谷川の酢醤油は間に合わせではない、発見だ!」と書いたが、やっぱり間に合わせかな…?

 

 

 

「なぜ人ははなやで落ち着いてしまうのか?」築明治・低い天井・適度に仕切られた空間・明るくかつ覗かれない適度な解放感のある窓。これら合理的な分析では掬いえない何かがあるような気がするけど、どうでもよくなるほど落ち着いてしまうのだ。

 

 

 

プラスティックケースに入ったうどんラスト4玉が私達のカレーうどん(大)にあてがわれるという目を覆いたくなる惨劇からもう数年。全ての出来事がこの一瞬の為の必然。「あの時、信号が赤になっていれば…。あの時もう少しコンビニにいれば…」

 

 

人は学習する。今回はうどん玉の残機をチェックしようという話になった。私は店内に入った後、チェックするつもりだったが、よく考えたらもう店内入ったら運命は決まったも等しい(うどんを注文しないままおでんだけ食べ続けるのも限界がある)。

 

 

よって、店外からチェックを試みるも、いくら首を曲げても、あのケースが見える角度には届かない。しょうがないので「しばらく」待つ事にする。「しばらく」というのは、誰か他のお客さんが鶴丸に入るまでの間を指す。彼らに作り置きを消化してもらい、私達は新しいのを頂く(さらに古くなったお玉に当たる可能性もあるけど)。

 

 

グループのお客さんが入ったのを確認。人数と恰幅を考慮に入れて6玉と計算。彼らに続いて入店。ケース捕捉。何玉あるか?6玉未満なら作戦成功(実際はそうは言えない)。しかし残機は10玉ぐらい。「(10玉-6玉=4玉=2玉+2玉)…また後に来ますわ!」以心伝心、私達は用事を思い出したふりをして入口で踵を返した。

 

 

 

公渕公園に車を停めて、折りたたみ自転車で高松中心へ。やがて谷川前にさしかかった。駐車場はけっこう埋まっていたが今日は身軽な自転車、気軽に立ち寄ってみる。

 

 

お玉で丼にダシを入れる時、あまりの柄の熱さに驚いた。幾多のお玉を使いこなしてきた私、それは谷川のダシに原因があるとすぐに分かったぞ。ここのダシ寸胴の底にはタケノコが沈んでいて(無料・季節で変わる)客はみなそれを掬おうとするのだ

 

 

 

さて久しぶりに「なめこおろし」。温かいのと冷たいのがある事すら忘れていた。カイワレが何やらこのメニューには欠かせないものと思えるぐらい、マッチしていた。

 

 

食べ終わる頃、1人のOLが入店。おばちゃんに、なめこおろし(冷)の白い空の器を指差して「これ何ですか?」と尋ねる。さすが讃岐のOL、知ってか知らずか鋭い嗅覚を示す。ただし彼女は2択を誤った。なめこおろし(温)を選んだのだ。「冷たいほうがきっとおいしいで」食べた事は無いけど、そう思いながら店を出て行った。

 

 

 

国分寺ジャンボは我々の不注意な事に定休日だったので、あたりやへ。10時にパーラードリーム駐車場に入ったが、Y君は途方も無く遠い位置に停車して新鮮だった。

 

 

「本日は10時20分から営業します」とのお知らせ。先頭で並んでいると、開店間際に静岡浜松出身という修行生が店内から出てきた。「今から少し大きな声出しますんでびっくりせんといて下さい」彼は自己紹介・修行心得7か条などを唱え始めた。

 

 

爽やかに開店を迎えた後、並んでいたお客さんはみなそれぞれ席に着いた。「この静謐とした時間が、うどんへの期待を否が応でも高めている」とはT係長の弁。それより私は実務的な事が気になっていて「外で並んでいた時の順番が、もう分からんやないか。提供の順番どうするんや?まさか浜松が順番覚えている訳でもあるまいし…」その問題はすぐ解決した。お姉さん「並んだ順に(注文カウンターに)並んでくださーい!」「えっ?客が覚えとかんなんの?」客の一部にとまどいが見られた(笑)。

 

 

 

多分この建物だと思うんだが、証拠が無い。「ここうどんやですか?」と尋ねていって、もしそれが普通の民家だとしたら、私は頭のおかしい不審者に思われるだろう。

 

 

そういう恐れを抱いていた私は、確実な証拠を得るまで突入すべきでは無いと考えていた。仏生山という地名だけを頼りにようやくここまで辿り着いたのだ。焦るべきでは無い。「農機具らしきものが庭に打ち捨てられている・小麦粉の空き袋がある・ネットで見た外観と酷似している」分かっているのはここまでだ。ダメ押しが欲しい。

 

 

そして前回調査で分かった事は「もしここが製麺所だとしたら、午前10時頃に白の軽自動車で卸に出かける」という事であった。そして今日午前10時、私はやや離れて店を張っていた(すでに不審者と化している事に気付いていない私)。相変わらずうどんの気配は無く、また白い軽も停まっておらず、しばらくの間は動きが無かったが、事態は急変した。1台の赤い軽が軒先に停まり、おばちゃんが中へ入ったのだ。

 

 

「もしここが製麺所だとしたら、そして彼女が玉買いに来たのなら、ものの数分で車に戻って来るはず。その時どちらかの手にビニール袋がぶらさがっていたなら、突入だ!」私は彼女が出て来るのを注意深く待った。おばちゃんは予想通り、ビニール袋を手にしていた。その時気付いたのは、この建物には実は煙突があって湯気がもうもうと出ているという事だ。これはもう間違いなく今うどんを茹でているという事だ。

 

 

私はすかさず丼と箸を携え、店へ向かう。後はもう食うだけだ。ついに長かった調査が報われる!火の無いストーブをすりぬけて「すいませーん」と奥に首を覗き込むとおばちゃんとおばあちゃんがいた。私は丼を渡してしばらく待つ。おぉ、待っている間に白い軽も卸から帰ってきたぞ。私の感動フィナーレの為に全員集結してくれた。

 

 

 

釜かけを注文。これなら100%出来立てだ。店内のこのゆるい雰囲気の中、クオリティの高いうどんを安心して(とても大事)待てるというのは普通ありえない事だ。

 

 

 

おばちゃん「さすがに明日はこうへんやろ?」と巡礼達成者パーティ参加について尋ねられる。「ちょっと今年はハードでしたね」私はいつものように冷かけは注文。さすがに寒い。まぁ、凍えながら食べてもうまい事はうまいんだけど、顔の周辺だけで感じるうまさだ…。体全体で実感できる熱々のうどんには敵わない事は認めよう…。

 

 

釜玉人気が集中する冬場になると、水で締めたお玉の回転が悪くなる。そのため、冷かけを頼むと作り置きが出てくるリスクが高い。しかし、常連(?)である私が冷かけを頼むとセイロからでなく釜から出来たてを締めてくれた。「まぁ、常連でなくても、少しでもいいうどんを出してあげたいとおばちゃんは考えておられるのだろう」山越のお客さんの利便性向上の為の設備投資の歴史を見ていれば、きっとそう思う。

 

 

⁂「釜玉に最適な」ゾーン(茹で時間)を超えると「お玉に最適な」ゾーンに移行する(その中間にどちらにも不適なゾーン。釜玉取り損ねたらお玉にするしかない)。

 

 

 

午後7時半すぎ、坂出駅でI川さんと待ち合わせ。さっそく「おか泉」へ向かった。

 

 

私は「ざる」、彼は「ぶっかけおろし」。私も一度だけ「おろしざる」を食べたが、その後はずっと「ざる」だ。だって大根おろしがあっても無くてもうまいんだもん。

 

 

「おか泉」と聞くだけで湧き出る私の息苦しい感情。「もう無邪気にうめぇ!とか言ってられないんだなぁ…」私は「修行」という体育会系から最も縁遠い人間だった。

 

 

 

 

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