インドの話 2_4

 

午後4時前ダンブッラ遺跡へ歩いて向かう。ガイドブックによると、過去にある西洋人女性が遺跡内の仏像の掌に座って記念写真を撮っていたらしく、問題になったそうだ。「国籍は?」ガイドに尋ねたところ、よほど悪印象だったのだろう、即答した。

 

 

 

草原にぽつんとある一個の巨大な岩「シーギリヤ・ロック」。登りきると、頂上に住居らしき痕跡のある平地がある。景色も経緯も天空の城ラピュタそのものであった。

 

 

 

 

父殺害により王位を得た男が、弟の復讐を恐れ逃れたい一心で、こんな岩の上に住居を築かせたという。それが今スリランカ屈指の名所になっている。何が歴史を作るか分からないものだ。善悪・動機にかかわらず、必死に何かに取り組んでいる者は歴史に刻まれてしまう可能性があるのだろう。彼は一生懸命怯えて、必死に逃げて……。

 

 

 

深夜に腹痛がして、目が覚める。下痢だ……。おそらく、夕食の半熟オムレツのせいだろう。こんな客のいないゲストハウスで玉子なんか食べるんじゃなかった。絶対に鮮度が悪いに決まっている、考えれば分かったのに。油断を悔やみつつ、日本から持参した薬を飲む。なんて事だ、明日はもっとも移動しなきゃいけない日なのに……。

 

 

 

 

キャンディへ帰ってきたこの日の夕方、例のピンキー家族はやっぱり寺院にいた。ご近所さんのジャヤンギ(10)というとてもシャイな女の子も今日は一緒のようだが

 

 

 

私「あれっ?ピンキーは今日は来てないの?」

ジ「ええ。彼女はあの後ずっと来てないわ…」

ジ「だって、あなたがいないから。今日来ると知ってたら彼女もきっと来たのに…」

 

 

 

あれっ?たしか先日ママは「No marrige! No girlfriend!」や「She can’t love you!」等と仰ってたような気がするんですけど?

 

 

 

ジ「あなたは明日(7日目最終日)もここに来れるの?」

私「うん、クルクルコレル!!」私は首を超縦に振った。

ジ「そう、あなたが来るなら、きっと彼女もくるわ…!」

マ「そして、パパもー❤!!!」私は首を超横に振った。

 

 

 

菩提樹の隣に仏歯寺という有名な寺がある。スリランカ人の多くは仏教徒で、その祈る所作は、同じ仏教徒の日本人の私にはとても近しく感じられて自然と腑に落ちる。

 

 

 

やっぱり5時に彼らは来た。4時半に約束して5時に来るというのは2度目だ。申し訳なさそうにされていないので国民性なんだろう。それはさておき、御一行の皆様の中に、少し薄毛したお父上がいらっしゃるではないか!「ほ、ほんとに来たー!!」

 

 

 

日本的感覚なら、少なからず、否、大いに警戒され、下手をしたら非難される、そういう事態を覚悟しなきゃいけないシーンだ。「ましてや敬虔な仏教徒にとってはなおさら…」そう思っていた。結論を言うと、彼はやはり「I love Pinky 」を知っていた。そんな中、笑顔で私との初対面を迎えたのだ。私はピンキーに尋ねた。

 

 

 

「パパ、怒ってるよね?」

 

 

 

しかし、彼女は心から不思議そうに「Why?」と聞き返してきた。「怒るような事では無い、人は自然に人を好きになる」そういう認識のようだ(多分)。きっと「好き」とか「大切」とかといったポジティブな愛情表現を、家族間や友人間で声に出して伝える事がごくごく日常なんだろうなぁと思った。まぁ、伝えたからって恥ずかしがるようなお国柄では無いらしい事は薄々気づいていたけど(某ホテルスタッフ)。

 

 

 

ピンキーは、インドへ旅立つ私にレターを差し出した。それを読んで、インドを超えて北の果て「みちのく」ならぬネパール1人旅に発つ事に決めた。怒る事では無い、ただし報いてあげられるとは限らない。レターは世界共通の常套句で結んであった。

 

 

 

「…Forever You are my friend」悲しいForeverだわ。

 

 

 

 

キャンディ駅に向かう途中で診療所に寄る。外国で1人きりで病院に行くという事は以前はビッグイベントだったはずだけど、今回からは立ち寄り感覚。「ダンブッラでオムレツ食べてからお腹の調子悪いなぁ。ちょっとケアしておくか…」という感じ。

 

 

 

昼過ぎにコロンボ到着。夜、部屋のファンが回らなくて蒸し暑くなってきたので外に出た。今は水不足らしくて、水力発電量の減少に対応する為に「パワーカッティング停電」を実施しているようだ。特に何もする事が無く駅周辺をうろうろしていると、話し相手が見つかった。ただ、話題としては暇潰しには少々重た目の内容であった。

 

 

 

多くのスリランカ人がヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の歴史を知っているようだ。ムスリムである彼は激しくアメリカ批判した後、すごいアバウトな質問をしてきた。

 

 

 

「 What is your opinion? 」

 

 

 

こういう状況に直面する時に備えて、外国へ旅行する時には宗教に関する知識を身につけておいたほうが賢明だとつくづく思う。最低限「彼らにとって宗教は超大事なんだなぁ…」という事は(笑)。意外な事に、海外で出会った同世代の方たちの中には日本に興味無いかと思いきや、宗教・歴史・オカルトが好きで詳しい人も多かった。

 

 

 

「仏教信仰とお盆供養なんて、矛盾しとるもんな。」Kさん(30)

「神社なのに護摩焚きしてて。神仏習合の名残で…」Tさん(32)

 

 

 

明日のインド行きフライトチケットを購入し、空港の最寄りのニゴンボへ移動する。コロンボ駅でセナに偶然の再会。やはり何となく、ぎこちなさ・切実さを漂わせる。

 

 

 

ガイドブックに記述の無い街なので、ホテルを求めてニゴンボ駅周辺をうろうろしていると、案内してくれる人が見つかった。辿り着いたホテルは新築でまだホテル名の看板すら無かった。まだオープンしていない?どうしてこのホテルをお勧めするの?

 

 

 

実は経営者(元ホテルマン)が開業直前にバイク事故で亡くなってしまったという。残された妻と子は素人ながらに営業しているものの経営ノウハウもなく困っている。そんな遺族を支える為に、お客さんを引っ張ってきてあげたいという事なのだろう。

 

 

 

午前7時すでに空港、そろそろ搭乗時間だ。だがスリランカ最後に海外で初の経験となる国内電話を1発かけてみる。今こそジオス「レッスン4」の成果を見せる時だ!

 

 

 

「 Could I speak to PINKY? 」

 

 

 

飛行機はあっさりスリランカから飛び立ち、あんまり盛り上がらないまま、インド再上陸。次の目的地はインド有数のビーチであるコヴァーラムだ。おお、見渡す限り西洋人がいっぱいだー。「俺は去年いきなり(インド人ばっかりのタミルナードゥ州から)こんなビーチに放り込まれたんやなぁ、そらパニックになるわ…」と感慨深い。

 

 

 

 

去年、私はこのあたりでフクちゃんら陽気な2人組に出会った。彼女たちはスリランカから来ていた。今回同じルートを辿った私がそうであったように、スリランカで西洋人に対する免疫は身についていたに違いない(もともと免疫ある気もするけど)。

 

 

 

 

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