インドの話 2_10
ヒロコがネパールを去り、また1人に戻る。ネットカフェ・昼食・散歩・荷物整理…と退屈な時間が過ぎていくが、それもまた良し。どうせすぐに何か起こるのだから。
夕食は「ふる里」。28日の読売新聞を探していたら、あるおっさん(マツダさん)に声をかけられて同席させて頂く。おっさんはやたら「自分はネパールでは偉い!国王も手下みたいなもんだ!マツダ言うたらこの辺のもんは誰もがびびりよる!」と豪語する。彼の取り巻きらしきネパール人2人も、彼に気を遣っているようだ。取り巻きの内の1人は大学教授のようだが、講義が終わってもまだまだ仕事でお疲れ顔だ。
お酒が弱い私は、酔っ払いの言動や心理に疎いところがあって、マツダさんは単なる酔っ払いで彼の自慢話など聞き流しておいてもいいと思うべきなのかどうか、この時点では私には分からなかった。明日、マツダさんが教授宅に行くというので同行させて頂く約束をした。お酒が弱い私は、酔っ払いの言動や心理に疎いところがあって、マツダさんは単なる酔っ払いで彼の約束など聞き流しておいてもいいと思うべきなの
個性的なサドゥーに会いにパシュパティナート(妹ヒロコが失踪した寺院)へ再び。目当てのサドゥーはいなかったけど、やっぱりここの雰囲気はいいなあ…と再認識。
午後は食料品の買い出し。明日からネパール全域で商店のストライキ?が始まるのでバナナ・水などを買っておく。なぜストライキかというと、マオイストさん達が「いついつから暴動するぞ!!」と予告してくれるから避難しておこうという事らしい。
夕方「ふる里」へ。昨日約束を交わしたマツダのおっさんと待ち合わせる。「店に着いたら電話して」と昨日言われていたので、電話をかけてみるもののなかなか繋がらない…。やっと繋がったマツダさん「今日は体調が優れないので、また今度という事で…」と仰った。やっぱり酔っ払っていたのか?約束など聞き流しておくんだった。
夜になって、鼻詰まりがひどくなってきた。まるで腐っているような不快感。ジャナクプルで風邪ひいて以来ずっと鼻水が出てたけど、それが悪化してしまったようだ。
朝から目の下のホオの部分がじくじくと痛む。あまりに痛すぎて日本帰国もふと頭に浮かんだ。ストライキはキャンセルになって無くなった。バナナとみかんが余った。
朝から鼻詰まりの状態。さて、RAJのアドバイスにもあったように、私は彼女とのコンタクトをキープし続ける為にスリランカへ手紙を出した。その後、流れでジュエリーショップへ行ってしまう。「ブラックスキン(の娘)にはゴールドがいいよ!」と店主がアドバイスをくれる。日本人への土産ならシルバーがポピュラーだろう。個人的にもそっちのほうが好きだ。だがその好き嫌いをぐっと押さえて、わざわざ高価なゴールドを買おうというのだ。この男、まだまだ守りに入るつもりは無いらしい。
再会できる保証もないのに、あまりにリスキーでリディキュラスだ。だが、私はそういういわゆる計算高さから心を解き放って、この旅に漂おうと決めているのだ。それに「あれ高かったよ値」という負荷を伴ってこそ、得た物に対する感情・感覚、ひいては記憶までもが深まるはずだ。それでも今日は見るだけ。ジュエリーは分からん。
朝からいよいよ完璧に鼻が詰まる。ホオの内側のじくじくした痛みは虫歯みたいな感じ。「どうやら炎症を起こしているのでは?」となぜか漸く思い当たる。病院行きが脳裏に浮かぶが、この症状をうまく医師に伝えられる自信が無い。まだ我慢できそうな程度なので、痛みが鎮静化する事を薄甘く期待しながらバクタプルへと向かった。
そこはKTMからバスで1時間ほどの街だ。入場するだけで750ルピーも払う必要があるが「それだけの価値はあるよなぁ!」と納得。由緒ある建物も、普通の商店もホテル、民家、はては道路の敷石に至るまでほぼ全てレンガで調えられているのだ。
夕陽が最期の力を振り絞って放つ熱量を当てられて、その日朝からの熱を帯び蓄えたレンガが更に赤黒く存在感を増していく中(笑)ダルバートを求めてうろうろする。モモ(ネパール餃子)食堂はちょこちょこあるけど、ダルバート食堂は全然見当たらない。モモは苦手だ。そもそも餃子・焼売・肉饅・🍕ピザ・パンなどは、あまり好きではないの。きっと「せっかく製粉するんだからどうせ食べるなら麺状にしてよ」という麺好きの傲慢な気持ちがあるからだと思う(台湾小籠包とお好み焼きは例外)。
立ち寄ったモモ食堂で「上階でニワトリが鳴いている?」と興味を示したきっかけで話が弾み、明日メニューには無いけどダルバートをご馳走してもらえる事になった。
ホオ痛すぎ、たとえ今まさに症状が和らいだとしてももう病院行くぞ!しかしながらここバクタプルに病院は無さそうだ、というかあっても外観がレンガでカモフラされてまず病院に見えなさそうなので、明日KTMに戻ってからの予定、それまで我慢。
昨日のモモ食堂の2階リビングで家族と一緒にダルバート。因みに厨房は4階、🐓は3階。調理と素材を近づけた機能性重視のデザインの為、鶏より下層で暮らす事に。
小学生ぐらいの息子が、今使っている社会の教科書を見せてきた。なんと1ページまるまる日本との関係についての記述だ。しかも100%好意的な内容で「日本は我が国に、病院を建ててくれた、道路を作ってくれた」などなど。明日私が行こうと思っていた病院もODAの賜物のようだ。きっと明日は、この社会の教科書を読んで大きくなったお医者さん達が、私の病気を一生懸命に診察・治療してくれるに違いない。
チェックアウトしようと思ったら、オーナーがなかなか精算してくれない。1時間ほど話しこんで、更に昼食も一緒に食べる事になった。もっとお金を落としていって欲しいのかな?と思え(て実践し)たのは、話の内容がシリアスだったから。彼の息子さん、深刻な病気に罹っており、その治療にかかる費用が高くて生活が苦しいのだ。