インドの話 2_15

 

早朝からやかましいインド。朝8時に既に私はヴァラナシ行きのバスに乗り込んでいた。1時間後ようやくバスはヴァラナシに向けて出発した。ヴァラナシに着いたのではない、に向けて出発したのである。定員に満たないとはいえ1時間も待たすなよ…と思うが、先日も同じ仕打ちくらってるし、もうそんなのでは怒りもイライラも感じない穏やかな心を持つ私。ヴァラナシまでは7時間半かかった(最初の1時間を除いて)。バスチケットを購入した代理店では「これはツーリストバスなので少し高いけど速いよ、5時間で着く!」と言っていたのに、だ。だがもうそんなのでは怒りもイライ…(中略)むしろ、この程度で怒り出す人がいたら引いてしまう域に到達した。

 

 

 

ヴァラナシに近づくにつれて、どんどん暑くなってきた。バスは順調に飛ばしてはいるものの「ヴァラナシまであと何キロ」がペンキで殴り書きされている丁石の数字はなかなか2桁になってくれない。変わり映えしない街並と丁石がエンドレスで通り過ぎていく中、私はふと人生を振り返ってしまっていた。まさかあのヴァラナシに…。

 

 

 

自分はいったい人生いつの時点で、ヴァラナシなんか訪れるように針路が変わったのだろう?もちろんはっきりした答えは出ない。だがそんな事を取り留めもなく考えているうちに、やはり初めては聖なるガンガーからヴァラナシに上陸したいと思った。

 

 

 

 

南端アッシーガート宿泊。メインガートは明日、舟からその姿を目に焼き付けよう。

 

 

 

朝4時に起きてホテル屋上からガンガーを眺めた。手前側はガートや家屋がずーっと連なってぎゅうぎゅう詰めなのに、向こう側は手つかずの自然のままという不思議な河。「此岸は現世・彼岸は不浄」というヒンドゥー的解釈があって、こんな両極端な対岸になるようだ。「宗教」だけが根拠となってこの両岸を作り上げているのだ(地質や地形に問題があるとか国有地だからとかの根拠でなく)。この世とあの世、いや両岸まとめて人生そのもの?まだまだ頭の中できっちり消化できそうにはない風景。

 

 

 

5時、ガート見学の舟に乗る。日本人女性2人と一緒に、ダシャーシュワメードガートまで往復2時間の舟旅。彼女らのシャッターラッシュに気圧されて、ついつい私もたくさん写真を撮ってしまった。撮影意識が混じると気持ちが浮ついて、折角の感慨も薄れてしまうが、沖からのヴァラナシの風景は素晴らしすぎるのでやむを得ない。

 

 

 

マニカルニカーガートで一旦下船して、遺体が垣間見えるというあの火葬場へ。ここを根城にしているガイド?が尋ねてもいないのに教えてくれる「薪のキロ単価・1体あたり薪消費量」そして「厳しい火葬場財政事情・外国人観光客の平均寄付金額」。

 

 

 

午後、ダシャーシュワメードガートの「フレンズゲストハウス」へ移動。この街はガートと無数の路地から成り立っているようだ。噂に聞いた通り、路地は本当に入り組んでいて、方向が掴める人はきっとおかしい。昼でもそうだから、夜などとても出歩かない方がいいと思った。かように複雑なヴァラナシの路地裏、この素晴らしき舞台で「生」を謳歌するのは人だけでない、いや人だけでは足りぬ。薄汚れた野良犬・進路を塞ぐように立つ野良牛・足の踏み場も無い程のミニゴキブリの死骸と蠢く成虫。

 

 

「さすが、ヴァラナシ… 南インドとは事のシリアスさが違うわ… 凄いわ…」「ミクロで見ると不潔極まりないが、街全体で見ると美しさすら感じるな…」わずか2日で得たこの評価は正しいのか正しくないのか、もう少しここにいてもうちょっと感じてみよう。ヴァラナシ滞在に長すぎるという事はない(いわゆる沈没の入口)……。

 

 

 

聖地ヴァラナシの近くに仏教の聖地サールナートもある。ここはお釈迦様が初めて説法した(初転法輪(初めての転法輪(法輪を転じる事。釈尊が説法して人々の迷いを砕く事を、戦車が進んでいって敵を破る事に例えたもの。現在のインドの国旗にある輪は、この法輪をデザインしたもの(ブリタニカ国際大百科事典参考))))と言われている場所だ。優しい語感に気持ちも緩む、のんびり3時間かけて歩いていった。

 

 

 

ここにあるダメークストゥーパ(仏陀の遺骨を埋納し仏教徒達が尊崇の対象とした半球形、またそれが変化発展した形の建造物、即ち仏塔。日本の卒塔婆・塔婆・塔という語もストゥーパに由来する(ブリタニカ国際大百科事典参考))は、名前の示す通り、どうにも洗練されているとは言えないもっこりとした建造物だ。ブリタニックレコードにアクセスできない当時の私には、まだまだこの建造物のありがたみが理解できなかったようだ。その後、サールナートの博物館で「ブッダの静かな自信と慈愛に溢れた表情(何かの本)」を見学。ヴァラナシとは全く違う長閑で温かい雰囲気の聖地に別れを告げて再び歩いて帰る。体重が54キロまで減っていた為、急遽肉摂取。

 

 

 

昼過ぎからガートに出て、ホテルに置いてあった「文藝春秋」を読む。1冊あらかた読み尽くしていて、残っていたのは芥川賞受賞作「中蔭の花」のみになっていた。これは是非ガンガーを眺めながらのんびり読もうと思っていたのだ。仏教や生死がテーマの作品なので(多分)なかなかタイムリーではないか。不思議な事に、なぜかこの日以降、霊的なテーマで本を読んだり話を聞いたりする機会が立て続けに起こった。

 

 

 

ウィルスが体中を巡回しているような感覚で全身が気だるい。原因は一体何だろう?

 

 

 

 1.少し湿気ったような怪しいクッキーを口にした。

 2.薄暗い室内で「オタク学入門」本を読み耽った。

 3.夜1食という日々が続き栄養不足になっている。

 

 

 

その夜、いよいよ下痢症状も出始めた時、原因がなんとなく分かった。きっと正解は

 

 

 

 4.ガンガーで沐浴。腰まで浸かり頭から水かぶる。

 

 

 

朝までに4回トイレへ。「さすがヴァラナシ!手加減ナシ!」とお手上げせざるを得ない下痢だ。経験上「インドで一度下痢を完治させると、以降(その旅の間)もう下痢にはならない」と感じていた。過去2回とも、大体インドに来て1週間ぐらいで下痢になったが、完治後は、ある程度の生水や生野菜は口にしても大丈夫だったのだ。

 

 

 

しかしヴァラナシ様はそんな免疫レベルをものともしない。体に吸収されやすい筈のポカリスエットですら便器直行してしまう。視覚的には下痢なのに、聴覚は「只今おしっこ中!只今おしっこ中!」の状況判断なので、下半身に得も言われぬ違和感がある。「なんだ、これ…?」この下痢は絶対自力では治せない!私は誇り高く諦めた。

 

 

 

「下痢で脱水症状になって命を落とす」昔は半信半疑だった。「出た分だけ、すぐ水飲んだらいいのでは(少なくとも脱水症状にはならないだろう)?」と簡単に考えていた。けれど今回、それは間違いだと身をもって知った。ホットチャイがウォータースライダーのように体の中を通り抜けた時に。「あかん、水が体内に留まらん……」

 

 

 

「フレンズゲストハウス」の親切なお兄さんRAJAに医者に連れてってもらう。薬の1種はカレー粉漢方みたいなものだった。薬もカレー味だなんて、さすがインド。

 

 

 

今日は、丸々1日を下痢の対応に費やすという冴えない日だった。しかし世の中には下痢に留まらず「下痢・発熱・嘔吐・入院」と順次展開させていく旅人も多いようだ(by情報ノート)。下痢だけで済んでいるならまだマシなほうなのかもしれない。

 

 

  

昨夜からの下痢は治りつつあった。インドのカレースパイス、いや薬は素晴らしい。

 

 

 

RAJAが郵便局へ行くので、私の絵葉書の投函もお願いする。快く了承した彼は、情報ノートによると「熱くて純情で親切で正直な男」だという。他の旅行者にも信頼が厚いとすっかり心服した私は、たとえ彼の妹が「破損グラス代5ルピーつけとくわね」とドライに請求してきても「妹さんもしっかりなさってるわ」としか思わない。

 

 

 

約束を守る事にも厳しく「(私の隣の)日本人は時間にルーズだ!」と怒っていた。どうやら12時の待ち合わせに遅れているらしい。なぜか私が謝り、気まずいので探しに出かける。「インド人に時間にルーズだなんて言われちゃおしまいだよなぁ…」

 

 

 

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