インドの話 2_16
部屋を屋上に変更。日光浴にちょうどいい。快適な分、ちょっと高め(300円)。
もういつこの街に来たかもはっきり記憶に無いし、記憶を思い返す気も湧かない。ヴァラナシの路地裏の一隅を撮影した写真を見せられて「この風景を取り込んだ上で魅力ある街をゼロから作りあげて欲しい」と言われたら?洗練されたデザイナーやプランナーには思いもつかない、この難問に対する満点の答えの1つがこれなのだろう。
昨日のルーズな日本人は報道関係者で、来月はワールドカップ取材で韓国に飛ぶという。「来月にはインドの事も忘れてしまいますよね!」とても爽やかに彼は言った。
午後は日光浴、その後ガートへ。いつも通り、ろくな連中が寄ってこない(油断)。
ふと立ち寄ったホテル「ALKA」で、実に久しぶりのポットに入ったミルクティを注文。ポットに入っているってだけで「あー、リラックスできそー」という感じがして好きだ。ミスドのコーヒーにも似た落ち着きを感じる(おかわりがある安心感)。
ゲストハウスのドミトリーには2人の日本人がいた。表情やお腹がたるみきっていて「実にいい…」感じでまったりしている。きっとこのままいけば、廃人になっていくに違いない。鉄格子・質素なドミトリー・強い日差し・寝そべる若者……、褒められはしないが退廃的な美しさを感じる。それを肯定的に見てしまう私も、きっと同類だろう。彼らがいつからここにいるか、そしていつまでここにいるか、彼らも誰も分からない(でいてほしい)。その日本人の1人にブータンについての情報を教えてもらった。それを聞いてワクワクした私。この街を出る心の準備がようやく整ってきた。
お昼時、私はいつものようにしつこい客引きを薙ぎ払って通りを歩いていた。「バンダナ・パジャーマ・両替?」と並行して歩きながら付き纏ってくるのをいつものように拒み続けていた。すると突然「じゃあ100ルピーくれ!」「はい?Why?(いつもと違うな)」言い合いしているうちに、私はムカツイて奴の頭を軽くこづいた。
「You touched me !」奴はタックルしてきた!インドでは口喧嘩はいくらしてもよいが、手を出す事は禁物なのだ、って知っていたけど、油断してついつい手が出た。延々15分ほど付き纏われて「困ったなぁ」と思いながらも、ダッシュして逃げるほどではない(そのうち立ち去るだろう)と見込んでいた私は、馴染みのレストランに駆け込んだ。奴も食べもしないのに店内までは入ってこないだろうと思いきや、甘かった、テーブルにご対面されてるではないか、オーダーもしないのに!!
「なんて凶悪な顔相や…」「I have to Kill you!」「えっ」「俺には何のためらいも無いんだ!人を殺すのに!」「ひぇぇぇ……助けてー(チラッ)!」
私はレストランのスタッフに助けを求めようとしたが、見ず触らずの静観を決め込むスタッフ。西洋人カップル客もこちらを見てにやにやしている。私は久しぶりに冷静な判断力(警察やホテルへ行く)を失っていた。きっと周りが誰も助けてくれなかった事による孤独感が原因だ。もっとも警察が味方してくれるかどうか確信は無いが。
「これが最後のチャンスだ。さもないと、今夜お前がどこにいようとホテルを探し出して殺してやる。俺はガンを持っているんだ!」「ひえぇぇっ!G・A・N!!?」最後のチャンスに人は弱い。「金を払えばこれ以上付き纏わずに出て行くか?」を確認した後、ポケットに手を突っ込んだ。とその時、レストランのスタッフが「それはちょっと倫理上よろしくないのでは…」みたいな困った表情でこっちを見るんだけど言葉は発せず、体は身構えず(ここはネパール系資本なので人柄がいいのだろう)。
血を流すつもりのない正義をちらつかせてこの偽善者どもめ!この孤立した状況で俺を守るには「カネ」しかない!!これだけは頼れる真実だ。さくっと100ルピーを払うと、彼はいきなり用心棒気取りで「誰か君に悪さする奴がいたら俺に言ってくれよ、やっつけてやる!」「はい!」と言える訳が無いけど、彼は笑顔で立ち去った。
私は「100ルピー(しかし安いな)けちって殺されるなんてあほらしいやん」などと賢しらに言いたくない。ただ「傷ついてもいい、自分らしい生き方を」などという高尚な事を言う資格を失ったのだ。私は自分のプライドを傷つけてしまった。代償としてせめて何かしら教訓を得たいけど、意味を求める時点で…(人は楽しかった事に教訓を求めない、辛い出来事を辛かったで終わらせたくなくて意味があったと思いたくて求めるのである、私はそこに逃げずにただ「辛かった事」として受け入れた)。
犯罪ファイル4 脅迫
執拗な押し売りを足掛かりに、殺害を仄めかした上で金銭を支払うように仕向ける。
次は仏教4大聖地の1つ「ブッダガヤ」だ。最寄り駅「ガヤ」までの座席を予約しようとしたら、数日前ではもう満席だった。出発予定の時刻16時を超えても列車はまだホームには入ってなく、結局さらに2時間待った。待つ事自体は苦痛ではない。苦痛なのは待ち時間がとてつもなく不安な状態である事だ。不安要素が多すぎるのだ。
1.遅れている列車はいつ来るのか?
2.このプラットフォームで正しいのか?
3.このキャンセル待ちチケットで乗れるか?
4.遅れたらガヤに着くの真夜中だけど大丈夫か?
5.車内放送も無く、暗闇の中「ガヤ」駅が分かるか?
列車に乗ったら、やっぱり空席は無かった。到着までの5時間、ドア付近の床に座って過ごす。当然だがお尻の骨が痛いぞ。しかし上記の不安の1~3が解消されたので苦痛はだいぶ和らいだ。注意すべきは「いつどこで降りればいいか?」だけだから。
暗闇の中にガヤの灯りが朧気に現れ近づいてくる。「来たか…ケンシロウ…」私はカサンドラにいる囚われのトキを連想した(北斗の拳)。ガヤ駅前は夜中12時を回っているのにすごい活気に満ち溢れていた。だが納得できない、こんな深夜に酒も飲まずにターリーを食べる男達って?高松のうどん店「鶴丸」みたいに飲んだ後の〆か?
ブッダガヤはガヤから30分ほどの所にある。日帰りで行けるし、又そうするべきという合理的判断を列車内で導き出していた。理由は3つ(1)重い荷物を持ち歩かなくてすむ(2)ホテル探しに時間を使わなくてすむ(3)今のホテルは24時間制なので、列車出発時間ギリギリまで滞在できる。そう考えて3泊4日でチェックイン。
しかし明けて今朝、この街はあらゆる点で終わっている事に気付いた。(1)暑いし(2)埃っぽいし(3)インターネット無いし(4)観光名所も無い。しょうがないので、夕方までBBCとMTVを見ながら部屋でごろごろと過ごす。そんな時、トシくん(23)なる好青年と出会った。旅行者は誰もがブッダガヤに行っている(&こんな街にいたくねぇ)と思った矢先、思いがけず一緒に飯を食べる相手ができたぞ。
「バリから来たんです」バリ産の太鼓を愛着ありげに抱えながら彼は言った。そんな太鼓とは対照的に、バリでの恋愛相手(日本人)は現地に置いてきたという。「その事とは関係無いんですけど…」「ん?」「将来バリに移住したいんです」「あっそ」
旅が日常と化したバックパッカー達にとって「日本に帰ったら何をするのか?」という質問はそんなに軽くない話題となる。彼は私の痛い所を的確に突いてきた。「うどん打った事はあるんですか?」「料理の経験は?」「…で、インドは何の為に…?」
トシくんと一緒にブッダガヤへ。彼は体調があまり良くないらしく、ブッダガヤに到着するとエアコン付ルームへチェックインした。インドではnonACしか経験の無い私、是非ともお邪魔させて頂こう。うおお、みるみる汗が引いていく!なんて涼しいんだ!シャワールームも清潔。「だけど、それはあまりに図々しいから…このエアコンの冷気だけで我慢してごまかそうっていうんだ…カイジくん、ダメなんだよそれ
じゃ…!せっかく体をシャキッとしようって時に…そんなんじゃかえってストレスが溜まる…!入れなかったシャワーがちらついてさ…全然すっきりしない、心の毒は残ったままだ…贅沢ってのはさ、小出しじゃダメなんだ…!やるときゃきっちりやった方がいい。その方が次の節制への励みになるってもんさ…!となると、エアコンだけじゃべとついた体はすっきりしないよね」シャワールームもお借りさせてもらった。
さて、ブッダガヤはお釈迦様が悟りを開いた場所でございます。仏教にとって最も重要な聖地と言われておりますが「佐々井秀嶺師がブッダガヤ大菩提寺の管理権を仏教徒の手に返す奪還運動を主導されておられる」と後々知り、複雑な気分になったのであります。そんな大菩提寺の境内は誰が決めたのか土足厳禁。我々2人は走る、灼熱の石畳の上を日陰から日陰へと、毛穴が全開になるほど我慢しながら。地味に削り取られていく苦行の末、私は遂に音を上げた(統計によると5月が1番暑いそうだ)。
あかん、ここすげーあちー!もう、無茶苦茶あちー!救いようねーほどあちー!!!
この過酷な環境に私のような者でさえ、少しだけ「救い」を意識した。いわんや昔のインドの人々は。そうして少し分かったつもりになって調子に乗った2人は、座禅を組むべく日本寺を訪れた。17時まで待って漸く日本人のお坊さんが1人出てこられた。だだ一言も愛想も無い。おもむろに座ってお経を唱え始めた。そういうもんか。備え付けの「座禅のイロハ」パンフレットで確認して、私らもとりあえず座禅追随。
オンシーズンは今よりもっと多くのお坊さんがいるらしい。「わしらの留守の間、お主には庭の草むしりや仏さんの世話をよろしく頼もう!」「えっ、私がですか!?」
愛想が無い理由は多分そんな所ではないか(失礼)。1時間後、お坊さんは立ち上がり一言も喋らずに去っていって座禅タイムは修了した。寺院からの夕暮れが殊のほか美しくて心も足も痺れたので、ガヤに戻らずこのままブッダガヤに泊まる事にした。
トシくん「B型って人と会うのが嫌いじゃないでしょうか?」すごい、普通他人に言いづらいであろう事をよくもまぁ。彼は3ヶ月に1回ほど「1人きりになりたい」と強く感じる時があるそうだ(もっと多いだろ)。でも君は爽やかで社交的だから、これから旅先で出会う誰もが、君をB型だとは思うまい。だから何だよという事も無いが。こうして彼はパトナーへ旅立って行った。同胞を見送りし後また独りになった。
「……やっと1人になったー!!つっかれたー、なにしろここ3日間ずっと行動一緒だったからなぁ…」と普段なら思うかもしれないが、今回は同じ症候群を持つ同胞との別れ、そのような解放感は無い。せいぜい、その後の出会い(インド人)はささっと済ませて切り上げたぐらいだ。さらばブッダガヤ、私も1人に戻って旅立つ時だ。