インドの話 2_17

 

昨晩、ガヤ駅に滑り込んで来たカルカッタ行きの列車「 Doon Express 」号には私の予約していたシートがあるはずの車両「S9」が連結されていなかった。「S1~S8」でS番台がまさかの終了。困った時には車掌に泣きつくのが1番だ。

 

 

 

私「S9の車両はどこだ?」

車「無いぞ。次の列車だ!」

 

 

 

私は一瞬「 Doon Express 」がもう1便来るのかな?と都合のいい事を考えたが、そんな訳はない!非常識が罷り通るインドに浸かっていても一瞬で常識に戻れるあたり、私の成長した点と言えよう。そうこうしている間に列車は動き出してしまった。「ええい、乗ってやれ!」私と車掌は小走りして列車に飛び乗った。最悪のケース、床に座る事も覚悟したが、親切な事に車掌がシートをアレンジしてくれた。

 

 

 

しかしながら安眠してはいけない。この運行区間は最もスリが多いというからだ。一夜明けて午前10時、子供に起こされてカルカッタに到着した事を知る。あまりに湿気が高すぎて「スリ?もう知るか!」とフテ寝・熟睡していたようだ。荷物は無事。

 

 

 

「センターポイントゲストハウス」のドミトリーにチェックイン。ドミの先客ユースケさん(28)に「昨日までクニさん・ミキさんらと3週間行動を共にしていた」と聞いて驚く(ネパール~カルカッタ)。残念ながら昨日彼らは旅立ってしまった…。

 

 

 

そういえば、クニさんと「5月中旬カルカッタで再会するね」と話していたのを思い出した。そして、ユースケさんとも初対面ではなくて、ポカラで話した事があったのを思い出した。ヴァラナシに長くいすぎたせいだろう、忘れていた事が多すぎる…。

 

 

 

昨夜からいきなりガラガラ声になった。他人と共同生活のドミトリー、何かと体調を壊しやすいのかもしれない。実際、隣のベッドの高橋さん(32)は、昨夜以来、高熱・嘔吐・下痢の症状が重なり、かなり苦しそうだった。看病する女の子「しんどいのよぉく分かる…」きっと彼女も最近まで彼のように体調を壊していたに違いない。

 

 

 

この日の夕方には、入院生活から復活してきた長期滞在者さんが戻ってきた。こんな病人が多い宿は初めてだ。幸い、私はカルカッタでは大きく体調を崩すことは無かった。屋台で食事を摂らなかったのが良かったのかもしれない(おいしい中華料理店がいろいろあって通っていたから)。ガラガラ声で収まっている現状で良しとしよう。

 

 

 

ビザを発行してもらう為、バングラデシュの領事館に行く。「地球の歩き方」の地図では、領事館の位置が間違って掲載されていた。それで、通りすがりのカルカッタ市民に声かけて正しい場所を教えてもらうと50ルピーの請求が(情報料10㍓・今夜のワイン40㍓)。「こっちが任意に選んだ市民なのにこの悪辣さって絶望的だな」

 

 

 

旅行出発前の予定では、カルカッタからチェンナイへ単に南下する予定だった。しかし、バングラデシュ・ブータンと行くべき国が2つも増えた。まずはブータンから。

 

 

 

ブータン方面へ行くには、ニュージャルパイグリ(NJP)まで行かねばならない。2か月前ダージリンへ行って以来だ。タゴールハウス見学・ライチ購入・中華料理店「ホンコン」で夕食。ただただ暑いカルカッタで夕方発のNJP行夜行列車を待つ。

 

 

 

前回は北上するに連れ寒くなっていったけど、今回は「この時期ならダージリンに行ってやってもいいな」と思わせる快適さ。NJP~シリグリも前回と同じバス行程。

 

 

 

さて、シリグリから国境の街PHUENTSHOLING(プンツォリン)までが手探りの旅だ。カルカッタのドミトリーでもらった1枚のぺらぺら地図、これだけが頼りだ。地図によると、どうもここからは長閑なローカルバスの旅になりそうだ。見知らぬ地で、ローカルバス&乗り換えは厳しいなぁ。いつ来るかも分からないようなバスを2回も乗り継いだ後、ようやく国境の街ジャイガオン(インド側)に到着した。

 

 

 

越境する時は少なからず緊張した。ユースケさんが教えてくれたように路地からこっそりと越境。普通に越境しようとすると、衛兵がいるとても大きいゲートをくぐる必要があり、呼び止められたらめんどくさそうだ。路地からの国境越え、わずか幅50センチの排水溝を飛び越えると国が変わる。そして時代も変わったかのように……。

 

 

 

ブータン人が明治時代初期前後の町人みたいな感じ、あるいは時代劇の登場人物みたいな感じだ。すごい、ここはまるで、辺境ゆきゆきて迷い込んだ挙句に辿り着いた別世界のよう(比喩になっていない)。よくよく見渡せば、国境だけあってインドファッションの方も結構いらっしゃるのだが、そういう人々は今は私の眼中に入らない。

 

 

 

 

ブータン料理が食べられる店「 ZOM RESTAURANT 」を教えてもらった。店内はこれまた昭和初期の社交場みたいな雰囲気が漂ってノスタルジックな洋食屋風だ。「チキンパー」という鶏肉の煮込み料理は唐辛子がきいていて、ご飯が進んだ。

 

 

 

プンツォリンは小さい街のわりに、なかなか退屈しない。きっと「街」より「人」に関心が向いているからだろう。私は武士や商人のような出で立ちの男達を見たくて、観光もせずただただ街歩き。しかし「写真撮らせて下さい」とは頼みづらい雰囲気。

 

 

 

今日もブータン料理。「エマダシ」シチューぽいのにご飯のおかずになる謎の旨さ。

 

 

 

伝統的な民族衣装を確実に見る為に小学校へ行ってみた。日本人の感覚だと「部外者は学校内に入れないのでは?」とついつい思ってしまうが、それは治安の悪化した現代日本特有の事情のようで、ここではフリーパスだった。快く受け入れてくれた、というより誰も私という部外者に気付いていなかったような…。江戸時代に小学校があったら、こういう感じだったんだろうか…?と思いながら、校庭で体育授業を見学。

 

 

 

 

出発前、ゾムレストランで最後の昼食。ここのお姉さん、既婚者だからだろうか、交わす会話や仕草にどことなく湿り気のある王家衛花様年華的美しさを漂わせていた。

 

 

 

午後2時15分カルカッタ行きバス出発。また18時間以上かけてインドに戻っていく訳だが、時空を超えたタイムトラベルだと思えば近いのでないだろうか。「ここ日本じゃないのに?」感じるノスタルジーに驚き、人々の暖かい笑顔の記憶が残った。

 

 

 

常に私のステータス(コンピューターゲーム、特にオンラインゲームやロールプレイングゲームに登場するキャラクターの状態)には異常があって、カルカッタに到着した今現在のステータスは「せき・たん・のどいた」だ。唾を飲みこむたび顔をしかめてしまうほどなので、薬局へ。リポビタンみたいな液体の薬、果たしてこれは「うがい薬」なのか「飲み薬」なのか?これはきっちり聞いておかないと命に関わりかねない。「DRINK OR WASH OUT?」適当英語とジェスチャーで何とか凌ぐ。

 

 

 

2002_16                              2002_18