インドの話 2_21

 

キャンディまでの列車は事故処理待ちあるわ、乗り換えあるわ、遅れるわで、悲惨だった。そんな流れの中ママに会うのだから、あまり楽しい展開にもなってくれまい。ママは実兄と一緒。でも兄に頼らずとも、ママのディフェンスは予想以上に完璧だ。

 

 

 

ママ「Y did U come here again?」私「2 meet U!だコラ」

 

 

 

俺って強い、が、その後もジャブを放つ私にきっちりストレートをお返ししてくる。

 

 

 

Pinky not like you,she wants to marrige with Sinhala! She said Oh,Poor Masato!

 

 

 

これはKOですわ。とにかくもう脈無いのは明らかだけど「来週金曜日午後8時に電話する」という約束だけは取り付けた。ピンキーは来週土曜日に帰ってくるらしい。

 

 

 

今日はまだ日曜日だ。それまで何したらええんや?大してしたい事なんか無いし…。そこには最も過酷な1週間が待っていた。私の体重は48㌔台まで落ちてきていた。

 

 

 

ぐおぅ!お金落とした!4000円!!「 OH!POOR MASATO!! 」私は昨日購入したこのスリムなジーパンが実は4500円だったと思い込む事にした…。

 

 

 

お坊さんが管理している「 BURMESE REST 」へ宿を替える。見つけるのに苦労したけど、1泊100ルピーなのでしつこく探した。他の宿は最低でも300ルピーぐらいするし、どうせ今週私はする事が無いのだから、少しでも安い方がいい。

 

 

 

バナナを買うも、食べたらすぐに腹が張った状態になる。空腹感というものを忘れてしまったようだ。コロンボで会った日本人の言葉「いや、減ってるんだか減ってないんだか分からないんだよね」を思い出した。分からん訳ないだろう…?と聞き流していたけど、的を射た表現だわ。「下痢で脱水」といい、なってみないと分からない。

 

 

 

体力が減りすぎたせいだろうか、普通に歩いていても心臓に軽い負担を感じるようになった気がする。膨満感のせいで食事は少ししか取れない。それにスリランカの食堂は無茶苦茶に辛いライス&カリー&無茶苦茶に甘いスイーツがポピュラーで食欲減退甚だしい。これが前回も今回も昨日も今日も今晩も、私に毎回たちはだかる試練だ。

 

 

 

サラダならつるっと食べられるかな?私は昨夜スリランカ人からもらった「理研海藻サラダ」を水で戻してトマトとライムを添えて食べた。頑張って食べきった。サラダを食べきるのがこれほどしんどいとは。本当にモノが食べられなくなっているぞ…。

 

 

 

もう日本に帰りたい。私は人生で初めて帰国日まで何日か「指折り数える日々」をリアルに実践してしまった。朝と変わらないのは分かっているのに夜も数えてしまう。

 

 

 

「とりあえずだな、インドに戻れば(体調は)復活する!」と思った時、俺ってたくましくなったなーと感心(南インドの食事はそれほどまでに素晴らしい)。けどなーけどなー、フライトチケットは7月1日発でFIX(変更不可)してもうたんだ…。

 

 

 

「DEVON」という洋食系レストランで昼食。少し早めの昼食とはいえ、オムレツとスープが食べきれない。一切れ食べてはため息。チキンとチーズが胃に重たい…。

 

 

 

その後、下痢を繰り返し発症した私は医者に行く事を決心した。腹が減らないだけなら、コロンボのドミで出会った彼のようにベッドでゴロゴロしているだけで済むかもしれないが、下痢も併発となるとそうはいかない。で、2月に一度お世話になった病院を再び訪れる。血液検査・尿検査の結果はすぐ出た。意外にも異常なし。17キロも痩せたとはいえ、地味に続けていた腕立て・腹筋・ウォーキングが役に立ったか。

 

 

 

医「一体なんでそんなに痩せたんだ?」

私「I can’t stop Diet!」

 

 

 

ホテル「QUEEN」内のチャイニーズレストランへ。「エビチャーハン1つ、食後にミルクティーね、以上」「カレーは食べないのか?」「だったらここに来ないよ」

 

 

 

夜はキットカットとトマト&ライチ。これだけでも今日はしっかり食べたと満足感。

 

 

 

薬のおかげで下痢や膨満感から解放された。それにやっとスパゲティが食べられる店を見つける事も出来た。これでキャンディでも何とか生きていけそうと安堵。スパゲティを食べている時に「俺はこんなものが食べたいが為に苦しんできたのか……」としみじみするも「いやいや、こんなもの(失礼)でもありがたい……」と思い直す。

 

 

 

午後8時、公衆電話からピンキー宅へ電話。ママが出た。明日の夕方5時に「あの菩提樹」の下で会う事に。「菩提樹」私にとって唯1本きりの固有名詞的一般名詞だ。

 

 

 

夕方、菩提樹の下でママとおじさんと待ち合わせ。そして午後6時、ピンキーを迎えにキャンディ駅へ。今日いよいよコロンボから帰って来るのだ。しかし、ママはつい先日までピンキーに私がまた来ている事実を告げていなかった(笑)。家族同士で何でも密に話し合うこのジャヤシンゲ家がぎりぎりまで伏せたがる程のタブーなのか?

 

 

 

駅で彼女と再会した時「自分はこんな人に舞い上がっていたのか…?」と我に返りかけたが、しばらく話しているうちに「やっぱりいいわぁ、この人」とほっこりした。

 

 

 

今から向かう彼女の家はキャンディから車で15分程のKUNDASALE(クンダサール)にある。大きな白い2階建てだ。ママは仕事で忙しいらしいが「平日は無理だけど今日(土日)は泊まっていきなさい」と薦めてくれたのだ。「20日間もスリランカにいて、会えるのは1泊2日だけか…。でもまぁ再会出来ただけいいか!!」

 

 

 

ところが家路に就く車中で異変に気付いてしまった。ピンキーは2月の時と全く違って、もはや私に全く興味が無いという気配に。それは予想出来なかった。話しかけると笑顔になるが、彼女から話しかけて始まる会話はほぼ無い。そして、会話が途切れるといきなり素に戻ってつまらなさそうな表情になる。その切り替えがあまりに鮮やかで「私は今はあなたよりも従妹と話をしたいから」という理由だけとは思えない。

 

 

 

言い忘れていたが、従妹のHIMALI(ヒマリ)も一緒にコロンボから帰って来ていた。彼女らは常にくっついているほど仲が良くて、私からフリーになる為なのかどうか知らないけど、一方の私には常に3人マークが付く。ピンキーの弟2人とおばあちゃんだ。3人とも私に優しさと好奇心を惜しみなく注いでくれるのだが…(悲)。

 

 

 

それにしても彼女は何であんなに私に無関心になったのだろう?(報われないからといって)愛を出し惜しんではいけませんよ…マザーテレサが私を導こうとなさった。

 

 

 

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