インドの話 2_22
朝6時に起こされて、一家全員でパパの見送りだ。パパは夜帰ってくるのがとても遅い上に朝も早いというハードワーカーで、ようやく家族全員に再会した事になった。
弟達2人とTVゲームで遊ぶ。私の後ろでは、ピンキーが従妹のヒマリと朝からずっと喋りっぱなし。私につけ入るスキを与えたくなくて必死なのか?という勢いだぞ。
私は今朝パスタをご馳走になっていたのだが(リクエスト)その横を無関心に黙って通り過ぎて行かれた時にはかなり凹んだ。「なんでそんなに愛想無いんだ?」でも、喋りかければ引きつりの無い笑顔でにこにこ対応する、返答内容は必要にして十分。
だが更にひどい事に、夕食前にピンキーの男友達2人が現われ、従妹を含め4人で楽しくトークしているじゃありませんか。時折、会話から「マサト」とか「ジャパン」とか聞こえてくるので、私は勇気を出してそのテーブルに突入し、拙い英語で自己紹介をした。男2人はプライド?高そうに白けた表情をしていた。私はその場をにこにこと退散して、弟達とゲームを再開した。相手をしてくれた長男マリスに感謝して、またまたしばし凹む私。「俺と話さないくせに俺を話題にするんじゃあないッ!!」
しかし、夕食時と夕食後2時間ぐらい、私はピンキーとママとで3人、楽しく会話をする事ができた。これでEnoughなのだよ、私にゃ。情けない事、面白い事にこの日の私の情緒の安定はたった1人のピンキーさん(18)に委ねられていたのだ。
一泊の予定だった私だが、昨夜もピンキー宅に泊まる事になった。ママに気に入られて「スリランカを発つまでの1週間ここにいなさい」と言ってくれたのだ。私は「一夜限りと焦ってピンキーの部屋に突撃しなくて良かった」と安堵した。しかし、肝心のピンキーは昼過ぎ従妹の実家に出ていった。帰ってくるのは3日後らしい。午前中は、彼女の幼い頃のかわいらしい写真を一緒に見て楽しかったのに何という仕打ち。
彼女のいなくなった午後、ママはおもむろに家族を襲った痛ましい悲劇について語り始めた。5年前、数億ルピーの借金を背負った家族の悲劇を。パパの兄弟に当たる男にまんまと騙されてしまった為に、それまで経営していたスーパーはおろか、自宅や自動車・宝石までも売りに出した。それでも足りずに借金を抱えた。ようやく今、新しいビジネス(パパは野菜卸・ママは企業向け弁当製造)が軌道に乗り始めたのだ。
5年前、ピンキーは12歳ぐらいだったはずで、それまでは豪邸に住み、欲しいおもちゃは与えられ、高級車でプライベートスクールに通っていたであろう彼女。一瞬にして生活が変わってしまった。彼女は悲劇の真相を受け継いでから、それを忘れた事は無い。甘美な記憶が散りばめられたあの頃の生活を取り戻す。それがこの長女に与えられた使命だ。きっと自分の幸せを犠牲にしてでも、どんなに時間がかかっても。
ママ「もしあなたがピンキーを口説けたら、私は(結婚に)反対しないわよ。チャンスをあげるわ!」私「よしっ!あとはピンキーを口説くだけだ!!」ママに気に入られたのは嬉しいが、それ聞いてやる気出るほどのパワーは最早どこにも残ってねえ。
夕方、キャンディへ。ママはお買い物、マリスは学校のレポートの製本。彼は14歳にしてコマースを学んでいる恐ろしい少年だ。中学生が、見積書や納品明細書・請求書・小切手などを学んでいるのだ。小切手は、私が知らんだけにショックを受けた。
クンダサールに帰ってきた時、ちょうどご近所のジャヤンギ(11)とそのおばあさんが来た。ジャヤンギは相変わらずシャイで可愛い女の子だ。このピンキー宅には家族以外の人もいっぱい住んでいて、昨日からは謎の居候少年VUDUNITH君もいる。また、ケーキ職人・庭師・専属リクシャードライバーなどのスタッフもよく見るので、来客も重なるとすごい賑やかなのだ。今日はほとんどの時間、2兄弟・ママ・居候少年とトーク。ピンキーの事が脳裏から剥がれ落ちそうになった時、ママ「明日はマータレーに出かけるわよ!ピンキーに会いたいでしょう?」私「!!!……?」
午前中、ママが最近オープンさせたレストランへ連れてってもらう。既存ビジネスの「弁当製造業」と同じ食材を使い「無理なく効率よく業務拡大を目指す」第一歩だ。
工場が集積しているこのエリアは、今後も更にクリケットスタジアムの建設が予定されているという超一等地だ。「どうしてそのスタジアムの情報を知ったのか?なぜママの店の他にライバル店が無いのか?」私は尋ねた。ママ「姉の夫が役人だから!」仕事熱心なママの話は尽きない。ところで今日はマータレー行くんじゃなかったの?
今日はぜひ一度という事でおじさんの家にご訪問。この家にいると親戚関係に疎いままではいられない。おじさんの娘(2)が可愛い。むちゃくちゃ笑顔だし、誰かと比べて。ところでおじさんの家は25エーカーの庭付一戸建てだった。また金持ちか!
夕方帰ってきたら、ちょうどピンキーもマータレーからの帰り、玄関で鉢合わせた。出たー!お得意の無視&素通り攻撃!切れ味鋭すぎてこっちから話かけられません。
私は奴に話かけてきてもらいたいのだけど、それを受け身で期待する、それこそがダメなのだ。ここスリランカは「攻めあるのみ」の社会。超楽観的に私の恋を励ましてくれたノーテンキな奴らを思い出せ!要するに、私は凹んでもプラス思考で立ち上がり、ピンキーの部屋に突入して「おかえり!ピンキー!マータレー楽しかったぁ?」とKYになりきるべきだった、という事だ。しかしたとえKYの勢いで会話が始まったとしても、彼女はレイジー、私は英語口下手。ママも同席してなきゃ会話が続かない。そして、彼女はレイジーなだけでは済まない一面を隠し持っていた。当時は知る由もなった彼女の闇の部分?それこそが彼女に魅かれた理由だったのだと納得した。
1.シルバーは好きだけどゴールドは嫌い。そもそもアクセサリーは最低限でいい。
2.買物は単独行動がいい。ウインドウショッピングは嫌い。そもそも外出が嫌い。
3.人の注意を引くような明るい色調のファッションは嫌い。暗い感じの服が好き。
4.日産マーチのブラックが欲しい。嫌いな色は赤・黄・オレンジ。好きな色は青。
5.ガラクタ(空缶・切手・硬貨)集めが趣味だがメイドに捨てられても構わない。
6.自宅の庭や鉢植えにあるような花や植物は嫌いだ。「花が嫌い。それが私…。」
7.結婚しても仕事は続けたい。私の給料は私の父母兄弟の為だけに使うつもりだ。
8.食事よりもスナックやコーラが好きだ。食後は水がいい、ミルクティーは嫌い。
私はネパールで買ったゴールドのネックレスをまだ彼女に渡せていない。ほとんどのスリランカ人女性がゴールドのアクセサリーを身に付けているという事実。それなのに彼女はゴールドよりシルバーが好きだという事が判明したから躊躇しているのだ。
ピンキーと一緒に写真を撮る。明日からピンキーはカタラガマへ出かけるのだ。彼女が帰ってくる頃には私はもうここにいない。撮影後、私が「サンキュー」というと同時に、彼女は無表情に戻りパソコンに向かって行きDVDを見始めた(涙)。写真の時には笑顔だったのに……ずっと伏せたままの写真立ての2人、笑顔だけは今も輝いている…♫♫♫♫…昔の歌を思い出した。記憶が薄れていくに連れて、形に残る笑顔の思い出だけが事実となって(ほしい)。明日いよいよ「DEPARTURES」だ。
私は彼女に迷惑かけた代償として、例のゴールドのネックレスを手渡した。代償としてなのでギフトとしてほど「喜んでもらいたい」という意欲も無い。ただの「ごめんな」だ。I put all of my feeling into the stone …
夕食時も彼女はシリアスな顔して少食。今わかった、今まで私を苦しめていたのは、無意識に相手の気分を察しようとする日本人お得意の「気遣い」の精神だ。彼女を前にして過ごす夕食時は慢性的に心痛い。夕食後、テーブルはそのままにママとピンキーと3人でトーク。その最中、彼女が席を離れる機会があったのだが(戻って来るつもりの離席)その時に彼女が言った一言「 Excuse me 」という気遣いに、私は満足し救われた。それが何より欲しかったのだ。ゴールドの万年筆セットよりも。
今朝、ピンキーは笑顔でカタラガマへ出発した。残された私(笑)も明日朝にはここを出る。これが最後の別れ。彼女はゴールドのネックレスを身に付けてくれていた。
ママは何かあるとすぐ、私にピンキーを思い出させるような話を振ってくる。彼女は私にピンキーを好きなままでいて欲しいのだろう。ママ「あさっての朝、空港まで送ってあげる。明日の夜にピンキーが帰ってくるから、そうすればまた会えるわよ。ピンキーに空港まで見送って欲しい?」正直な気持ち、遠慮も込みで半分以上「NO」だ。一度は解放された彼女をまた付き合わすような真似はしたくなかった。というより、空港への道中ずっと無表情な彼女を横目に無意識に気遣いして疲れるのは嫌だ。
ピンキー家の食事は幸福だった。肉や魚が普通に出てくるし、チョコレートケーキやミルクティもスリランカで一度も経験した事のない上品な「ほどよい」甘さだった。