インドの話 2_23

 

明日の空港までのお見送りは、家族全員で来てくれる事になった。パパにとっては週1回の休日、息子2人に至っては学校休んでのお見送りだ。ママが教育熱心なのを知っているだけに、私はとても申し訳なく思ったが遠慮なく見送ってもらう事にした。

 

 

 

夕方にはピンキーが帰ってきた。いつものように私に一瞥なく部屋に入る彼女(この期に及んで!)。私は凹みながらも「お帰りー!」とピンキーの部屋にダイブした。

 

 

 

私は納得を探していた。彼女は会話が途切れた途端、すぐに自分の世界に撤退してしまう。そして自分から話しかけるのは嫌だというから、自分の世界をどんどん開拓する一方だ(彼女から話を振られた時は一瞬戸惑う)。私はこの娘の心理を知りたい。

 

 

 

 1.今のまま自分は変えたくない。他人から見られたくない。

 2.友達にも自分からは話題は切り出さない。聞いている側。

 3.クラスメイトの多くは、コロンボ育ちでプライドが高い。

 4.他人に自分の答案をカンニングされても何とも思わない。

 5.普段の笑っていない表情は、別に怒っている訳じゃない。

 6.菩提樹で私をちらちら見てたのはFunnyだったから。

 

 

 

ママから聞いたエピソードも考慮して、偏見を含めて判断すると「その性格は幼い頃の孤独のせいではあるまいか?(もうそれでいいや)」という結論に到達した。「借金トラブルの最中ママ達は忙しかった。ピンキーは1人で晩ご飯を食べていたわ…」「あぁ、それですねぇ。原因はきっと…(納得)」黙ったまま聞いているピンキー。

 

 

 

ママはいつの間にか「あなたに私の娘はSORRYだわ」とまで言うようになった。ママにもピンキーは理解不能な所が多いらしい。そして「ピンキーがあなたを傷つければ、彼女を早く忘れる事が出来る。それがあなたにとって良いのかもしれない」とのたまう。このホームステイはママがいないと成り立ちませんでした。どうもありがとう。だが別れに際して、まだ為すべき事がある。それは「美しく涙を浮かべてお別れしよう!そして彼女にも泣いてもらおう(笑)!」だ。それが私の最後の任務だ。

 

 

 

おばあさん以外の家族全員揃って、空港まで出発。車は借りたバン。ママが気を遣って、ピンキーを私の隣に座らせた。日本と違いスリランカでは、親に逆らったり敬意を払わなかったりという事は考えられない。彼女はママが為に私に親切なのだろう。

 

 

 

だがもはや話は弾まず、別れに特有の高揚も無い。彼女の好きな話題を見つけるホストのような能力が幾らかでも私に備わっていれば…。途中からママが隣に座った。その向こうで眠るピンキー。私に向ける彼女の心は本当に冷え切っている…と感じた。

 

 

 

なにしろ花が嫌いなのだ。そのくせパパのような男と結婚したいとか、家族を愛しているとか、日本の風潮(の一部)に吐き気がする、とか……ピュアな部分もあるので厄介だ。更に「そのくせ」を付け加えるならば、そのくせ家族と一緒にいる時も、私といる時と同じくらい不機嫌な顔(話しかけられれば笑顔で答えるが)をしている。友達と一緒にいる時が唯一「常に笑顔」だ。私は学んだ「相手の気持ちを無視して関わる事が必要な時もある」と。だって相手の気持ちを考えても分かんねーんだもん。

 

 

 

空港。お土産を両手に抱えた私がゲートに向かう時、ピンキーは泣かなかった。長男のマリスだけが泣いてくれた。私もあのシチュエーション(⁂)では流石に泣けん。

 

 

 

⁂私「May cry? 泣いてもいい?」ピンキーは「オッケー!👌」と笑った。

 

 

 

いつものマハーバリプラムに戻ってきた。早速しょうもない日常系のめんどくさい案件が。私はこの木彫アーティストのセカーにどのように対応すべきだろうか?彼は3年前から借金を背負い続けているのに、しかも観光客が年々減少傾向と自覚しているのに、去年また新たに設備投資していた事が判明。それで「金が無い!金が無い!助けてくれ!」と請われているのだ。そりゃそうだろうよ……と私は呆れてしまった。

 

 

 

カルカッタから遅れて南下してきたユースケさんが私の部屋を訪れた時、私はセカーに説教垂れていた。セカーを帰らせて、ユースケさんと夕食。なんと彼はバングラデシュでは相当な人気者(特にゲイに)だったらしい。羨ましくはないが魅力の違いを感じる(笑)。私はスリランカの話をしたかったが、あんな話おもしろく言えるか!

 

 

 

ユースケさんによると、6月上旬のカルカッタは、日本人はおろか世界中の旅行者がめっきり減ったらしい。相当に緊張が高まった状態だったらしく、みんな速やかに脱出したようだ…。別に、私は残った!自慢ではなくて、私も南へ逃げただけなのだ。

 

 

 

⁂2001年12月に発生したインド国会襲撃事件について、インドはパキスタン軍情報機関の支援を受けたイスラム過激派が実行したと非難。印パ双方は計約100万人の陸海空軍を国境付近に動員し、02年10月頃まで睨み合いが続いた。ムシャラフ氏は当時「核戦争も辞さない」と公言していたが、外交的ポーズではなく現実的な選択肢として検討していた(毎日新聞より)。南へ退避した私は見立てが甘かった。

 

 

 

ユースケさん(28)の旅はまだまだ続く。「アフリカ・南アメリカを経て、日本に戻る頃には30を越えているでしょうね」帰国後は社会科の教師を目指すという。住宅会社営業・ダイビング・今回の放浪の旅の経験を活かして「俺らが学生だった頃の

 

 

 

ユ「どんな社会科の教師よ り も…面白い授業と体験談を子供に…

私「          ま し な先生に、なれそうですよね!!」

 

 

 

かつての私の社会科教師のつまんなさを思い出して「ましな」ってつい口走っちゃった。そんな失礼な私にも「28からの再スタート、大変ですね」と応援してくれた。

 

 

 

だが見よ、インドを!50歳だろうが60歳だろうが、職業選択の限られた人々を!やりたい事があって、それを選択できる自由があって、まだ一人身な私が真顔で「いや、もう28なんで、新しい仕事を覚えるのが……」などと眠たい事を言えようか。

 

 

 

さわやかな今朝。木彫アーティスト、セカーの店に行った。彼はいきなりブルーな感じだった。聞かなくても教えてくれる。「男が来て胸ぐらつかんで金を返済しろぉと凄まれたんだ、マサトー」それ2月も聞いたなあ。こんな朝から誰が取り立てに来るんだよ?うさんくさいぞ。「マサトー、今日出発なのか?」「出発は4日だ、昨日言ったでしょ。じゃあ、このスタチュー持って帰るね」私は約束のブツを持って帰宅。不要になった衣類をインド人に売ったお金で、夜はリッチに海老料理だ。するとそこに嗅覚鋭いセカーがチャリで現れて何故か相席。またお金の無心かと内心うんざり。

 

 

 

いよいよ最終日。この日の私は忙しかった。 ホテルスタッフのMUJIと雑談、昨年もここで私や柿田さんと一緒に話した事のある青年だ。 昨晩の約束でセカーに会いにギャラリーへ。揉めに揉めて最後で絶縁! カシミール人には短パン売却。値切りに一歩も引かず交渉成立。プーリーもミールスも食べた。もう思い残す事は無い。

 

 

 

2年以上放浪が続くと日本に戻れなくなると何度か聞いたが、確かに今の私には日本に帰るという実感が無い。「何だ、実感て?」今の私にはよく分からない。正確には「実感する」という行為を日本に帰るというケースに適用すると途端によく分からなくなるのだ。「日本に帰るって何なんだ?何だ、日本って?分かんねー!うおー!」

 

 

 

チェンナイ国際空港。エアコンの効いた待合室。だが体中が汗でべとべとだ。「この状態で飛行機は嫌だ…」私はトイレの個室に入って、お尻を清めるトイレ用の手桶で水浴びをした。「その国の国際空港はその国を端的に象徴する」。締めくくりのこの空港での水浴びこそが私のインド旅行がどんなものだったか端的に言い表していた。

 

 

 

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マサトー、君は僕を2度までも部屋から追い出した。レストランでマサト見つけて相席した時も、コーヒー1杯さえも薦めてくれなかったね。空港まで見送りに行きたいのに「来てもらわなくてもいい」と言うし、僕の事がそんなに嫌いなのか?スリランカ人には送ってもらったのに!それに笑っていたと思ったらいきなり怒り出すし…。

 

 

 

今年の君は、去年と違ってお金の話ばかりしてくるじゃないか。時には「マサトがお金をくれると言った」と嘘までついて。そんな事が続けば、君を避けたくなるのも当然じゃないか。でも、またいつかインドに来る時には普通に話せる仲に戻れるよう願っている。セカーのHP作成にも協力するよと言っているのが証拠だ。とにかく何度も言っているけど、もうこれ以上買えないんだ…。分かってくれたようだね。先月前渡しした500ルピーは家族の食糧代に当ててくれ。じゃまた夕方、空港出発前に。

 

 

 

「マサトー、スタチュー500ルピー…」

 

 

 

何だと?(せっかく美しくギャラリーを去ろうとしているのに)スタチュー買ってくれないかって?なに帰り際に商談おっぱじめてんの?500ルピーだろうがこれ以上出せないって言っているだろう?…こんな気まずい空気でもなお空港に来るつもり?

 

 

 

「マサトー、ギブミーマネー500ルピー…」

 

 

 

もうええわ、分からん奴だな。私は絶縁するほどの怒りでギャラリーを後にしたが、3時間後、セカーが普通に自転車こいでやって来た(笑)。逃げようとすると声が。

 

 

 

「マサトー、サムシングヘルプ500ルピー…」

 

 

 

出発間際、いよいよ切羽詰まったセカーはストレートにお金を無心してきた。「あいつはもう空港に出発してしまう!ギャラリーに誘って買わせるにも時間が無い!となると…!」結局、お金が欲しいだけでした。私は主張を通したものの後味が悪い。私は勝ったのか、負けたのか…?最初から「単なる金づるにしか思ってないんじゃないですか?」と見抜いていたあなたの勝ちだ、ユースケさん。セカーとは苦い別れになってしまったが、想い出の品々は今大洋を超え日本に届けられようとしている。色鮮やかな木彫達が届くであろう浦西の吹く頃、曇天を見上げインドの青天を懐かしむ。

 

 

 

♫南インドの街角でかわいいガネーシャ買ったのさ 

♫待ってる家族に送ったら息子がおびえて再梱包ー

♫アホだな(それがどうしたっアホだよ) 

♫アホだな(2年で4万使ったアホだよ)

 

 

 

月日は流れて3回目の南インド。マハーバリプラムに立ち寄った時、彼のギャラリーが一等地に移転していて私はたまげた。それは私のお気に入りのホテル正面にあったので、あえなくセカーに発見される。びくびくしていた私だったが、商売は順調で窮地は脱したようだ。お金の無心はなく、私と彼はゆっくりと普通の会話を楽しんだ。

 

 

 

更に月日は流れて5回目の南インド。なんと彼は、雑誌や新聞に取り上げられるほどのアーティストになっていた。木彫りよりも短時間で製作できる絵画にシフトしているようだが、奥から木彫りの在庫を出してもらった。昔と違い大人の付き合い、言い値で3つ購入。それはきっと過去への贖罪(笑)。Masi Art Gallery

 

 

 

 

 1.食 事 代  57,000円

 2.宿 泊 代  44,000円

 3.交通費・空  46,000円

 4.交通費・陸  15,000円

 5.土 産 代  67,000円

 6.ダイビング  32,000円

 7.通 信 費   7,000円

 8.そ の 他  47,000円    合   計  315,000円

 

 

 

 1.インド        60泊

 2.ネパール       50泊

 3.スリランカ      42泊

 4.バングラデシュ     4泊

 5.ブータン        2泊    合   計  158泊

 

 

 

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