インドの話 1_5

 

サンライズレストランで昼食中、スタッフに声をかけられた「ほら、向こうから来るの日本人じゃないか!?」カニャークマリ以来の再会だった。意味深な質問で相手の心を探ったりくすぐったりするのが上手な桃山さんは、2度会える運命のようなものを会話に混ぜ込んできたので「ここに来たらまた会える気がした」と負けじと返答。

 

 

 

現実は擦れ違い、その始まりは、彼女達の今夜のホテルは「CLAFOUTI」との事だ。私は朝のうちに、街外れのコテージ「 Bamboo Village 」へ移動していた。竹細工で作ったようなこじんまりとしたアジアンな宿(以下竹屋敷)それでいて水回りやファンなどの設備面も申し分無い。リゾート地なのに200ルピー。

 

 

 

夕食に出かけた時、3人がホテルのレストランにいるのが見えたので(よせばいいのに)自分から参加して4人で食事。桃山さんの会話は、私が新しく経験するものだ。

 

 

 

桃「ベランダはどーう?」

山「(風邪をひいて部屋に籠っていてベランダには)全然出てないから分からへん」

桃「(くすくすっ)…

山「えっ、何か面白い?」

桃「(見た目も)インドア系なのにね、どうしてインドに来てるのかなぁ?って…」

 

 

 

標準語&表面的な話題の多い職場にいた苦い経験があるので、このタイプは新鮮だ。

 

 

 

食事が終わってぶらっと散歩しようという事になった。が、桃山氏はすたすたすたっと部屋に戻っていった。相変わらず、個人行動の鬼。残った彼女達と歩き出して1分後、今度は桃山さんが「あ私やっぱり帰るー(棒読み)」更に残った小島さんと2人になった。彼女は(1)無言でふらっとタバコ買いに寄るわ(2)買った後は私を追い抜いていくわ、もう自分の歩くスピードと目指すべき場所が全く分からん!挙句に(3)無言でさっさとネットカフェに入ってしまった。しばしの間、私は行く当てもなく散歩を続けていた。何なんだろう、この散り散りの終わり方は…??(2回目)

 

 

 

私の悩みは多分「今までの私の中にあったコミュニケーションの常識が揺らいだ」という事だ。1人旅の自由なら理解出来るけど、3人集まってのあの自由さは、ちょっと経験した事が無い。自分の場合、というか普通、他人と一緒にいると、その人とのコミュニケーションに、意識してなり無意識になり気を遣っているはずだ。互いにコミュニケーションの間合いを測っている訳だ。初めて出会った人・友人・親友・恋人相手によって間合いは伸び縮みする。生活や仕事をしていれば当たり前の話だけど。

 

 

 

しかし今回、間合いの取り方が分からん相手と遭遇してしまった。こっちは「初対面~3回目」ぐらいのやや距離感のある間合いで接していたのに、居合の達人並みにいきなり斬られてしまった。確かに、友人を超えて恋愛の間合いまで踏み込んでいくと拒否、即ち斬られる事はあるだろうし、そうなってもいいように心の準備もすべきだろう。けど、こいつら(失礼)それより遥かに緩やかな間合いでスパスパ斬りよる。

 

 

 

この感覚が自然なものだとしたら「よく3人で一緒に旅行出来るなぁ」と空恐ろしくなる。たまたま私の事が嫌いだったのなら、私が落ち込めば済む話だ。ひょっとして日本のじめっとした慣習を私が引きずっているだけなのか?彼らの行動には強い個を感じて逞しく感じる。また彼らの知性の高さが垣間見えるだけに、尚更こっちの常識が揺さぶられるのだ。いずれにせよ、私は生まれて初めて人間に対し戦慄を覚えた。

 

 

 

とぼとぼ帰ってきた竹屋敷、その隣のレストランは人気は無いもののまだ営業していた「やっぱり俺には自由な孤独がいいよ…。というか、何でインドで日本人の事で悩まないといけないんだろう、あほらしい…」この頃、私は私が分かっていなかった。

 

 

 

昨夜はブルーだった気持ちも、一夜明けて爽やかに回復した。早朝の涼しいうちに目が覚めて庭に出ると、子供の頃の夏休みを思い出した。あの頃は今と同じくらい山や海が近かった。ショックが大きすぎて一時的に幼児退行したのかもしれない(笑)。

 

 

 

昨日に引き続き、夕方のビーチへ。何故いつも夕方かというと、基本インドアな私は肌が弱いのである。昼間はインド人ですら木陰へ引っ込むほどなのだ。私の背中なんか1時間で焦げてしまうだろう。今回は「夕方」かつ「日焼け止め」という2段構えで対応。日焼け止めしても多少は焼ける。それを幾層にも重ねていこうという訳だ。

 

 

 

ヴァルカラビーチの波はエキサイティングだ。太平洋側で泳いだ事さえ無い私には強烈すぎたが「西洋人は根性あるな。あんな沖まで行って…。西洋人に負けるかー!」

 

 

 

夕方6時からの「カタカリダンス」を見る為に、ビーチは早めに切り上げた。このダンスはコーチンという街が本場と聞いていたが、リゾート客向けにヴァルカラでも上演されているようだ。会場へ行く途中、桃山氏と出会った「そろそろ仕事(ホームページの更新?)しないとやばくてね」昼間は仕事をされていたようだ。うーん、どの瞬間においてもかっこいい。私「今からカタカリダンスを見に行く」と言うと「良かったらうちの女性陣も誘ってあげて下さい」って、あんた全然見る気無いな(笑)。

 

 

 

彼と会話を交わした直後に、女性陣2人が歩いてくるのが見えた。おお、歩くペースも合わせねぇ(笑)。残念ながら、彼女達とすれ違うタイミングで、サンライズレストランのスタッフに呼び止められたので、ダンスには誘えなかった。が、元から誘うつもりも無かった。何故なら、夜道を3人で歩いて帰るのが怖いからである(笑)。

 

 

 

ビーチからの帰路、彼女達に出会う。桃山さん「昨日あの後(すれ違った後)私達もダンス見ようと思って追いかけて行ったのに、何処でしているか分からなかったの」だそうだ。私は「少なくとも同席する事が出来るくらいには、嫌われて無いんだ…」とちょっとだけ「ほっ」とした。そして「あー、見つけられなくて本当良かったー」とかなり結構「ほっ」とした。私はあの空中分解のような解散式が、怖くて怖くてたまらない。まるで私以外の誰もが、いかに私の出鼻を挫くか、そのタイミングを見計らい不意打ちで離脱するかというゲームをしているようだ(そんなゲームは無い)。

 

 

 

夕暮れの空とヤシの木のシルエットに交互に焦点を合わせながら、ハンモックでゆらゆら過ごす。さて、夕食は楽しからざる時間だ。やはりリゾート地で1人飯を重ねていくのはつらいものがある。サンライズレストランの2階特等席は、寂しさをもグレードアップさせてしまう。かといって「じゃ、誰と食べたいんだ?」という話だが。

 

 

 

この頃、私は深く落ち込んでいた。最後はいつも「何でインドでこんな事で悩んでんやろ?」それが分かるのはもう少し後の事。この頃、私は私が分かっていなかった。

 

 

 

ホテル「CLAFOUTI」で小島さんが「6つのチャクラ」とかいうタイトルの本を読みながら、1人朝食をとっていた。「本当の自分を発見!!」とか何とか帯に書いてある。まだまだ隠された本当の自分がおわすようで、是非解き放って頂きたい。

 

 

 

一昨日の夜、桃山さんが「竹屋敷で一緒に写真撮ろうよ」と言っていたのを(真に)受けて「明日、ヴァルカラ発つし、今日写真撮らへん?」となった。夕方、竹屋敷前で約束。何故、戦慄を覚える相手にまだ縋ろうとするのか?この頃、私は私が分かっていなかったので、そんな疑問も持たなかったが、さすがに少しは学習して展開を予想した。その内容は「桃山さん・小島さんは来るが、桃山氏は来ない。夕食前に散り散りの解散で帰って行く…」というものだ。しかし、彼女らは予想を上回っていた。

 

 

 

「あのー、日が暮れたんですけどー…」私は、竹屋敷のハンモックで、ぶーらぶーら揺れていた。彼女達は来なかった。遂に「なんて自分勝手な奴らなんだ5番勝負」でストレートの3敗目を喫す。敗れた私を残して、ヴァルカラの夕陽は沈み夜が来た。

 

 

 

「どうせ、おまけの出会い(日本人に会う為にインドに来たの?)これをネタにする度量が私にはあるはずだ!食事もせずじっとしていてもしょうがないだろっ…」サンライズレストランも西洋人客が多くて3タテ喰らった私には大層厳しいのだが、行かねばならぬ「 Noblesse Oblige 」を果たすのだ!と、気を奮い立たせたが、凹み過ぎの私は賑やかなレストランを目前にして、気が滅入って引き返した。

 

 

 

竹屋敷へ引き返して忸怩たる事1時間。もともと1人(旅の人が独りで食べて何が悪いの?)と気を奮い立て直して、再びレストランへ。もう別人のような感覚で痛みを堪えるのだ。そして試練をもっと与えたまえ。しかし、現実は予想を上回っていた。

 

 

 

レストランで着席しようとすると「山崎さ~ん!」この西洋人だらけの中、この単語これは私の名前だよな?振り向くと小島さんがいた。ユーイチ君という日本人と2人のようだ。はい「なんて自分勝手な奴らなんだ(実は)7番勝負」4タテ決着です。

 

 

 

何故、竹屋敷に来なかったかという理由を聞くほど野暮では無い。昼にユーイチ君と出会い、昼夜と行動を共にしていたから来なかった、それだけの事だろう。実はこの朝、桃山夫妻が小島さん1人を残していきなりホテルを移動してしまった(笑)。1人残された彼女は、パートナーが至急必要で、約束どころでは無くなったのだろう。

 

 

 

そんな私情や事情はさておき、ユーイチ君は何とイギリス留学中で、イギリスからインドという王道(覇道?)で来たらしい。ここは私を除いてインターナショナルな日本人ばっかりだよ。なお、少し前まではここにイギリス人女性も座っていたという。

 

 

 

私は1時間前を思い出して「あ、あの時、レストラン直前で引き返して本当に良かった~!」と安堵した。想像してみて欲しい。英語が飛び交うこのテーブルに「山崎さ~ん!」と誘われる事を、若しくはそれを傍目に1人きりでご飯を食べている姿を。

 

 

 

相席後、会話も一段落して、彼と彼女は仲良く席を立った。同一方向に足並み揃えて去りゆく姿は「なんて自分勝手な奴らなんだ7番勝負」第2局と全然違うぞ。4連敗を喫し、私はさすがに落ち込んだが、何でだろう、気が楽になった。何の事は無い、私は誰でもいい「日本人」と話したかったのだ、そして今安定感ある会話が出来て普通にお別れも出来て、欲求が達成されたのだ、という事に帰り道にふと気が付いた。

 

 

 

ずっと目の前に日本人3人がいる。けれど会う度にもやもやしていく。それは見た目は日本人だけど(少なくとも私の前では)日本人的じゃ無かったからだ。「私は久しく日本人との会話を絶たれていた」「安心共感できる会話をしたい」これが私の「症状」「欲求」だった。インドの南の果てで、数少ない日本人に出会えた事はラッキーだった、出会えた日本人が彼らであった事はアンラッキーだった、という事だろう。

 

 

 

相席時、最後に私は小島さんに「3人はどういう関係なの?」「どうして3人でインドに来たの?」と尋ねた。別れるまでにどうしても聞いておきたい事はこの2つだ。

 

 

 

答えは「バイト仲間」だった。こんな強烈な個性のリレーションが「バイト仲間」というような生ぬるい環境で出来上がった事に奇跡を感じる。きっと凄い特殊なバイトに違いない。すると何か?「桃山夫妻はバイト先で出会って付き合い結婚した」ってなるのか、うーん、実相と言葉がかけ離れ過ぎている。小島さんもまた変わっているほうだと思うのだが、ユーイチ君と2人で歩いていく後ろ姿は普通の女性であった。

 

 

 

朝からビーチを歩いて1往復。ビーチとインド人は好きだったなぁ、ヴァルカラ。トリヴァンドラムで買ったインドミュージックテープをサンライズレストランに貸していたので、返してもらいに行く。メールアドレスをおっちゃんに教えて「来年また来るよ」と別れを交わす。竹屋敷の奥さんやかわいい子供とも写真を撮ってお別れだ。

 

 

 

午前11時、リクシャーに乗って駅へ「さらば、ヴァルカラビーチ…」ところが次の列車は3時間後だった。一刻も早くヴァルカラを去りたかった私は、ここは躊躇せずタクシーだ。この数日間にわたる悲しい物語を速やかに終結させる必要があるのだ!

 

 

 

次なる目的地「クイロン」へは昼過ぎに到着。「クイロン~アレッピー」間は、8時間のバックウォーター(水郷地帯)クルーズを楽しむ予定だ。1日1便しか出航していないので、クイロンに何時に着こうと、翌朝10時までは時間を潰さなければならない。ここは「南インド旅」という名の双六の一旦停止ライン、旅行者の坩堝と化すこの街で、誰とも袖を触れ合わさずに過ごす事など果たして出来るはずがあろうか?

 

 

 

今日は珍しくエアコンのよく効いたレストランで夕食。以前から気になっていた「チキン65」という料理や、カレー・マサラの違いなど尋ねてみたが、よく分からなかった。結局「チキンカレー・フィッシュフライ・ライス・グリーンサラダ」を頼む。

 

 

 

「チキン」カレーは定番として「フィッシュ」もカレーにしてしまうと、万が一カレーが口に合わなかったら(石鹸味など)目も当てられないのでフィッシュ「フライ」にした。「カレー」がまずくても「フライ」がある。フライの魚にまぶす香辛料はそんなに外れが無いと思うのである。またチキンカレー・フィッシュフライが両方スパイシーだった場合に備えて、グリーンサラダも頼む。我ながら完璧な計算だ。あまりにもこの街が暇なので、如何においしいものを食べるかに頭を使ってしまうのかも。

 

 

 

「ぐぐ、ぐり~ん?」伏兵グリーンサラダは大皿いっぱいの輪切りタマネギだった。まっしろやん。ウエイターは「こういうものですから…」と抗議に当惑。「箸休めのグリーンサラダ、ひょっとしたら緑色の野菜では無いかもしれない、もしそれがタマネギだった場合、しかも水に晒していないとしたら?」なんて万が一にも考えねぇ。

 

 

 

ヴァルカラを離れて、ひときわ落ち着き感じる食後のチャイ。「小島さんもタフな旅をされているなぁ…」とあれだけ連敗したのに思いやる私。そもそも彼女は何故、桃山夫妻に付いてきたのか?「もともとは桃山夫妻がインドに定住してから遊びに行く予定だった。しかし女性1人でインドへ行くのは危険との事で一緒に来た」らしい。

 

 

 

恐らく「あのね、今度、南インドへおうち探しに行くの。一緒に行ってみない?」と気安く誘ったのだろう。桃山さんは獲物を気安く誘いこんで、付いていったら最後、いきなり散り散りのえらい目に合わせる恐ろしいお方だ。詳細は違うだろうけど、こんな経緯であの3人はインドにいるんだね。こういうパーティを一時的に編成して一緒に行動する場合、普通は「カップル2人だけの時間も大事ですが、今回の旅行中は当然パーティ優先で行動しますよ、安心してね」という暗黙の了解が存在している。

 

 

 

だから、桃山パーティがインドにやって来た時「2人はカップルとしての露骨な行動は控える」と小島さんはおろか、第3者の私もそう思った。しかし桃山夫妻は、リゾート地で我慢出来なくなったのか、ホテルを移動してしまった。1人残された小島さんは「ええっ?って、ちょっと唖然とした…」と驚きを隠せない。彼女は1人で行くリスクを安易に避けたが、今度は違うリスクを背負ってしまった。いつ訪れるかも分からない自由・孤独に怯えながら、このまま90日も旅を続けていけるのだろうか。

 

 

 

「クイロン~アレッピー」間のバックウォータークルーズはさすがに途中で飽きてくる。いろいろなコースや船が選べるので、乗る前によく検討するのが賢明だ。私の乗ったのは一番ポピュラーな大きめの船なので、万人受けしそうな大味な内容だった。

 

 

 

昼食の時間になって、ドライブイン的な川沿い集落に上陸。同乗していた日本人女性2人と同席する。午前中は敢えてというか何というか、ほとんど話していなかった。午後のクルーズでは、また1人に戻って景色を眺める。あまりべったり話していると疲れてくる、というか怖い。話しつつも、心の宝蔵院では武蔵と胤舜(バガボンド)の対峙並みの間合い(いつ散り散り解散が来る?)を測り続けていたのであるから。

 

 

 

待ちに待った夕方、日焼けすべくフロントデッキへ移動、そこで女の子の1人とついに話し込んでしまった。神戸のふくちゃん(24)に対し「よくもまぁ、初対面の相手にこんなオーバーアクションで話すもんだなぁ。あぁ、話のテンションは高いけど心が安らいでいくなぁ。私はこんな会話をしたかったんだー」と人知れず感動する。

 

 

 

傷が癒えつつあるいい所で夕方の休憩で上陸。もう1人の女の子あきちゃん(21)はふくちゃんより年下なのに礼儀正しいしっかりした子だった。スリランカから辿り着いた彼女達、見た感じ、楽しく充実した旅をしてきているのは明らかだ。やっぱりいいコンビなのだろう。2人を見て、私も次回スリランカに行ってみようと思った。

 

 

 

 

夕方の休憩の後は、3人並んでデッキから水面上に足を放り出して、夕陽を眺める。「あの、夕陽があっち(船の逆サイド)に移っちゃったから、移動しませんか?」このあきちゃんの一言がこの旅で一番心に残った(涙)。これが奴らなら(以下省略)

 

 

 

ふくちゃんは日記をつけていた。イラストあり、シールあり、記念品あり、左手で書いた文字あり(右脳を鍛える為らしい)カラフルだ。昼からでも、その都度その都度書き込んでいて、誰かさんと違って明るい日記だ。日が暮れる頃、またふくちゃんと2人のシチュエーションに。性格は面白いし色白だから、インドではなおさら眩しく見えたのだろう。彼女が私に名前を尋ねた。それは愛する日記帳に必要な単なるデータ収集。同業者としてそれを瞬時に理解してしまったけど、気付かないふりをした。

 

 

 

すっかり日も暮れた頃、ボートはアレッピーに到着。1人ホテルを探す。彼女らとは別れの言葉も無くお別れ。惜しいなぁと思いつつも、さっさと船を降りて街へと歩いて行ったのは私のほうだ。想像してみて欲しい。先に船を降りた私が、彼女達の下船を待っている。それが既に野暮で嫌なのに、さらに彼女達が桃一族のように私をさっさと追い越して…。これは怖い、怖すぎるよ~!どばどばと降り立った西洋人達とも一緒のホテルやレストランになるのが嫌で、街外れの安ホテルにチェックインした。

 

 

 

「おっ、スーパーマーケットがある!インド来て初めて見るぞ、興奮して来たな!」初めて訪れる土地のスーパーで品揃えをチェックするのは国内外問わず楽しい。さすがスパイスのレパートリーが半端無い!それらを見て楽しんだ後、綿棒などを購入。

 

 

 

縦長帽子が特徴的なウェイターの「インディアンコーヒーハウス」で夕食。複数店舗展開していて、私の行った3店(アレッピー・トリヴァンドラム・コーチン)どこも安定して美味しい。インドでのファーストフード店の位置付けが日本と同じだとしたら、これで満足していてはいけないのかもしれないけど、私には十分美味であった。

 

 

 

旅も終盤、起承転「結」、道具も補充してHP(食事)も充填、順調に滑り出した。

 

 

 

恒例の寺院スピーカーによるお経放送で目が覚めた。ボートクルーズの発着点という観光地でありながら、観光客の安眠を妨げるお経を流すとは。ここはまだ宗教行事が資本主義に蹂躙されていない。もっともラーメーシュワラムに比べれば遥かに静か。

 

 

 

チェックアウトする時、あきちゃん・ふくちゃんも同じホテルに泊まっていた事が宿泊台帳で分かった。「歩き方」に載っていた安ホテルだから、まぁ有り得る事だ。バスターミナルへ向かおうとした時、今からチェックアウトするふくちゃんにフロントから呼び止められた「怪しいお店があるから行きませんか?」それは絵描きさんのアトリエ、制作途中の作品が多くて「それにしても、ふくちゃんは無邪気に人を誘うなぁ…」と別の点に関心。彼女達と一緒に次の目的地「コーチン」に行く事になった。

 

 

 

いよいよ(3人で)バスターミナルへ向かおうとすると、今度は「そこで、アイスクリーム食べませんか?」とまた寄り道のお誘い。今の私にはこの無邪気なお誘いが、すごく羨ましいやら危なっかしいやら(無視されたらどうすんだ?)思えてしまう。

 

 

 

彼女達は、このような積極性と更には抑揚の効いた英会話能力も備えていて、西洋人にもよく話しかける。この後、私は次第に西洋コンプレックスが消えていくのだが、それは彼女達と出会ったおかげだった。しかしここまで全く西洋人と話せていない私は免疫が無い。バスターミナルの待合室でも、彼女達はカナダ人男性と話していた。

 

 

 

私は「ここ数日のインド旅行の新たなる一面を受け入れなければ」と思い、会話に不参加なりに内容を聞き取ろうとしていた。ところが、バスに乗ると何故か私とカナダ人男性が隣り合わせて座る状況に。お見合いの「さささ、ここからは男性2人で」的なセッティング感。しばらくは私を飛び越してのあきちゃんとカナダ人とのトーク。ぐぐっ、きつい!この位置で黙っているのはかなり不自然だ。何か喋っておかないと今後あらゆる対日対加関係において禍根を残す事になる。形作り(将棋用語)でもいいから、何かカタコトでも発しておかねば!!私は身を削るような作戦を実行した。

 

 

 

まず、徐(おもむろ)にガイドブックを手元に用意。空手(手に何も持たないほうの意味)では何も話す材料が無いからだ!屈んだまま、足元のバッグのガイドブックを引っ張り出そうとうんしょうんしょともがいていると気分が悪くなった。が、一応形作りのトークはやったぞ。やっぱり英語はネセサリーだな、と闘いの後に実感する。

 

 

 

車酔い気味だったので(バスで屈んだから)コーチンに着いてすぐに露店のパイナップルジュースを補給。コーチンは大きく分けて4つの島や地区で構成されており、何処へ行くにも便利そうな立地が決め手で、ホテル「シーガル」にチェックインした。

 

 

 

ふくちゃん・あきちゃんにまたまた再会。一緒にご飯食べようとなった。パイナップルジュースをもう1杯飲もうと思っていた矢先だったので「ジュース飲んでからにするわ。…でも一緒にご飯食べたいし!」間合いを詰めるトラウマはもう癒えたのか?

 

 

 

フィッシュカレー・フィッシュフライ・パラータ・ミリンダという肉食炭酸全開の私に対して、彼女達はベジタブルフライドライス・フィッシュカレーをシェア。出費を抑えているようだ。さて、かわいい女の子2人との楽しい夕食が始まったのも束の間

 

 

 

ざわざわ…ざわざわ…

 

              ざわざわ…ざわざわ…

 

                            ざわざわ…ざわざわ…

 

 

 

和やかな雰囲気が一転して、胸が息苦しくなってしまうアクシデントが発生した!!

 

 

 

何だ、私の右側に西洋人が座っているではないっすか!?いきなり爽やかに1人のフランス人男性がテーブルに割り込んで来たのだ!!目にも鮮やかに会話はイングリッシュモードに切り替わって、当然の事ながらついていけない私。彼は、彼女達に安いホテルを教えてあげた知り合いで、今日は同じホテルに泊まっているとの事だった。

 

 

 

「来るぞ…来るぞ…」彼女達とフランス人彼が英語で話している限り、いつか流れ弾が飛んでくる。それは必然だ。恐らく彼は、私が彼女達並みに英語が話せると思って話しかけてくるはずだ。しかしそこで会話はきっちりつまずいた(涙)。彼は如何にも「おフランスッ」というような感じの皮肉な愛想笑いを浮かべて「フランス人も英語ヘタだけど、日本人もなかなかだね!」というような事(こういう時は何故か聞き取れるんだね)をジョークっぽく言う(流れ弾大炸裂)。こいつ鼻で笑いやがって、悔しか!私は「英語を少しは話せるようになって来年もう1回来たる」と決意した。

 

 

 

やがて料理が運ばれて来た。屋外のテーブルだったので通りがかりに少し立ち寄る程度のつもりだったのだろう、彼は何もオーダーはしていなかった。私は、彼にフィッシュフライを差し出した「食べる?」「アイアムヴェジタリアンだから」「あっそ」

 

 

 

ヴェジタリアンなんて偽善者っぽい、と思う日頃の私だが(偏見)、このフレンチが「菜食主義」更には「動物愛護」や「環境問題」にまで真正面から向き合って真剣に語る姿は、ぱっと見て真の善人なんだ。敵の私から見ても善人に見えるのだから、ふくちゃんが「やだ、この人かわいい…」と見とれて呟いてしまうのもしょうがない。

 

 

 

長居する事もせず、スマートに彼は席を立った。また関西弁モードに戻った。夕食後もしばらく話した。これが私の一番楽しかったディナータイムであったが、あのフレンチのピュアなトークの後では、どうしたって限界がある。テーブルにそっと添えられたふくちゃんの手はとても美しかった。この先、誰が彼女の手を握るのだろうか?

 

 

 

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