インドの話 1_6

 

明後日のチェンナイ行き飛行機チケットを予約しに行く。オフィスのあるエルナクラム地区へ渡る船上で、フレンドリーな西洋人に声をかけられる。誰?と思ってよく見ると、カナダ国旗のキーホルダーが。あ、あのバスで隣り合わせた人か。こういうふうに再会するなら、形作りとはいえ喋っておいて本当良かったなぁ、とほっとした。

 

 

 

下船して事務所へと歩いていると、カナダ人が追いついて来た。もうー、追いつかなくてもいいのに…(笑)。恥じらいや人見知りの無い正々堂々とした西洋人のコミュニケーションには敬意を表するよ。彼は列車のチケットを取りに行くという。お返しに、私が飛行機チケットを取りに行くと言うと「ホワーイ?」と聞いて来た。「列車のほうが格段に安く、しかも夜行なので時間を無駄にしない」と言いたいのである。「楽だから・飛行機も乗ってみたい」としか言いようが無いが、私にはその堂々とした「ホワーイ?」が眩しいのだった。最近のインターナショナルな傾向は少し辛い。

 

 

 

インディアンコーヒーハウスで昼食。このチェーンは日本のミスドみたいな心の安らぎがあって好きだ。隠れメニューのトマトフライ(隣のインド人が食べていたので料理名を教えてもらう)を頼む。トマトが入ったスパイシーな野菜炒めみたいな感じ。インディアンコーヒーハウスはちょっとした休憩にお薦め。隠れメニューのトマトフライは是非一度試してみたい。(すぎのや大次郎 宮津市 ’01)あー、いやらしい。

 

 

 

チケット購入の帰り、エルナクラムからフォートコーチンへの船上、またカナダ人と出会ってしまった。「チケットは無事取れたかい?」「ノープロブレム!(とか何とか)」なんちゅーどうでもいい偶然だ。やっぱりこれはもうインターナショナルな流れだな。だって私は「起承転」から「結」に至るまでの4週間、実に1回も西洋人と会話して無いんよ。「旅のスタイルって色々あるんだな」というのをふくちゃんあきちゃんの影響下(カナダ人とのきっかけは彼女達だったから)にある中で実感する。南インドで出会った日本人は少なかったもしれないが、刺激を受ける事は多かった。おかげで私は悩んだ、個を没してインド人の中に溶け込むようにして旅をするべきなのか、他の日本人旅行者を見習って個を磨きリアルに充実した旅をするべきなのか。

 

 

 

昨日のレストランは1人では厳しいので、他の店を探す事にした。余計入りにくそうな気もするが、パステルピンク色したレストランに入る。ブラッドピットに似た男が先客に1人。そんなイケメンですら独りで食事とは…「うーん、人って大変だな…」

 

 

 

その時、西洋人中年男性3人が巨体をウェイヴさせて入って来た。「うわっ!何かもさい!!」と思ったら、やっぱり中年女性3人が続けて入ってきた。「まぁ、そうだよな…(安心)」男性のうちの1人が、私のテーブルから椅子を拝借していった。その際「ボートクルーズで一緒だったな!」的な事を話しかけて来た。相変わらず英語トークぎりぎりな私は、思い出してないけど「はい、あの時の!」と何とかこなす。

 

 

 

彼は、フランスらしい傲慢と侮蔑の込められた(被害妄想)笑みを浮かべて椅子を持っていった。これもまたインターナショナルな触れ合いだな。「で、この人達は腹減ってないのかな?」オーダーを決めようとする素振りすら見せずに、30分くらい止む事無く6人で会話を続けている。この時ばかりはせっかちとは無縁のさしものインド人も焦れてしまったかのようにオーダーを聞きに来た。「西洋人はなかなかメニューが決まらない!」これは(うどん店に限らず)飲食店経営において重要な情報だ。

 

 

 

ガーリックチキンとパラータ、この美味なる化合物(G・C・CmH2nOn)を満喫し食後のブラックティで後口と興奮をリセットした私は、やはり彼女を想い始めた。「恋愛運は無いけど、食事運は完璧だなー。にしても、今日はふくちゃん見ないなぁ…」

 

 

 

レストランを出てホテルへの道。その左側を歩く私は、こちらに向かって歩いて来る人影を右端に何げなく捉えた。それは、ふくちゃんがあのフレンチヴェジタリアンと手を繋いで歩いている姿だった……。運命はどうしてこの舞台を、こんなにも薄暗くほど良い大きさに設定したの?私にだけ彼女を気付かせて、彼女は私に気付かない。初々しく顔を伏せ、彼に寄り添って、そしてこの夜道から永遠に去っていった……。

 

 

 

南の果てで桃山さんらに出会い、旅は一「転」した。クイロンの港でふくちゃんらと出会い、共に行動し、傷は癒え、旅は終「結」へと向かうはずだった。ところがそうじゃなかった。「それは幻想…「結」は単なるインターナショナル(西洋人)編…」

 

 

 

お勘定は、アメリカ式ではCHECKだが、英国式ではBILLだ。発音を間違えるとBEERが運ばれて来るので私にとっては命がけだ。しかしそんな事はもうどうでもよく、食後の私は心なし沈み気味、それを察してか散策中も私に試練は訪れない。

 

 

 

それにしても、手を繋いでいたあのシーンは、私にとっては痛烈すぎた。もう会う事は無いのに、何故、運命は最後にあのシーンを私に放り投げて寄越したのだろう…。私は成長しなければならない。結局、何処まで遠く行こうとも、最後は悩む自分自身の問題なのだ。何かに抜きん出て突き抜けた個性的な人々に出会っていい刺激になった。でも1人旅の人よりグループで来ている連中のほうが強烈なのは何でだろう…。

 

 

 

インドは至る所にヘドロ臭漂う吐き気ゾーンがあり、散歩も気が抜けない。私は「インドの不潔さは有機的・原始的な類」と思っていたが、ポイ捨てされるゴミは、ヤシの実やバナナの皮だけでなくペットボトルやストローなど土に還らない物も膨大で、それはもう十分現代的な公害で現代的な不衛生さだ。あるインド人女性が「東京はきれい」と言っていたが、それは風景としてではなく、衛生面での美しさだったのだ。

 

 

 

聖フランシス教会にて「神よ、私のこの嫉妬心をどうすればよいでしょうか?」「マハーバリプラムへお行きなさい。2~3日経てば収まるだろう…」私は教会を出た。

 

 

 

「シガレット1パケット&マッチ」私は煙草を咥えて歩き出した。しかし、インドのマッチはなかなか難しい。浜風程度ですぐ消えてしまう。失意の底での喫煙ぐらいスマートに演じさせてくれてもいいだろうに。一服後しばらくして、ルンギにはさんでおいた煙草が無くなっているのに気付いた時、私はまだ2本しか吸っていなかった。

 

 

 

コーチン最初の夜に一緒に食事したレストランで最後の夕食。ここに彼女達は来るかフレンチヴェジタリアンも一緒か、もう西洋人から逃げない!と覚悟した私は、フレンチがいようがいまいが構わなかった。フィッシュフライがとても美味しくて、それがまた悲しい。テーブル下でちょこんと座る猫に、フライのお裾分け。食後のブラックティは、いつもは熱すぎてなかなか飲めないのに、この時ばかりはすぐに冷めてしまわないよう願った。音立てず静かに立ち上がりホテルに向かう私を猫が見送った。

 

 

 

しつこいリクシャードライバー達をかわしながら、人々で賑わうバスターミナルへ着いた。空港までのリクシャー料金は300ルピー以上、思ったより高い。それもそのはず、コーチン空港はいつの間にか郊外に移転していて、市内から1時間はかかるという。そりゃ、カナダ人でなくとも「ホワーイ?何故飛行機なんだ?」と尋ねるわ。

 

 

 

空港は新しく日本でも通用するほど清潔だ。トイレもインド式・西洋式と2種類用意されてるし、インドではほとんど見かけなかった缶ジュースも売ってある。それでいて飛行機は1時間遅れた。離陸したら偶然の再会ももはや無い。私は引きずりやすい自分の性格をよく分かっているので、飛行機が動き出した後はもう彼女達の事は考えないようにと思った。「さらば、コーチン。さよなら…(名前なんやったっけ?)」

 

 

 

 

1ヵ月ぶりにチェンナイ帰還。良くも悪くも飛行機は旅の連続性を寸断する。ここチェンナイは明らかに「前月よりもコーチンよりも超暑いんですけど?」状態だった。

 

 

 

空港内のマレーシア航空オフィスで帰国便のリコンファームを済ませる。「電話を使わないでリコンファームが出来る」これが飛行機利用のメリットの1つだった。私はルームサービスでさえ満足に用を足せない男、ましてやリコンファームを電話でなどもってのほか「リコンファームOK?」コンファームが必要なほどだ。そして飛行機利用のもう1つのメリットは、都市部をカットしてマハーバリプラムへ行ける事だ。

 

 

 

空港から直行バスは無いので、サイダペット経由でマハーバリプラムへ。営業センスに長けた1人のリクシャードライバーが「サイダペットまでの運賃+サイダペットでマハーバリプラム行きバスをアレンジ(教えてあげる)」で提案してきたので承諾。

 

 

 

マハーバリプラムへ帰ってきた!…しかし気分はいまいち優れない。「まさかこんな展開でここへ戻ってこようとは」1ヵ月前には夢にも思っていなかった。私は、雑草や茂った蔦をばっさばっさと薙ぎ払って「見事ジャングルから生還したぞー!」という凱旋気分でしか、ここへ戻ってくるイメージを持っていなかったのである。その生還の報酬が今から始まる「インドラストリゾート7日間inマハーバリプラム」だ。しかし、このままじゃ、ここでの優雅な時間がかえって仇になってしまいかねない。

 

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そういえば、気の利いたお土産の1つも買ってないなぁ。リクエストされていた土産を探しに買い物に出かけた。1つは「サリー」だ。サリーとブラウスはセット購入しなきゃ意味が無いという事を初めて知った。もう1つは「ガンジーTシャツ」これは見つからなかった。思い当たるのは、ガンジー像は写真撮影禁止が多いという事だ。

 

 

 

モスキートネットに魅かれて「Tina Blue View Lodge」に移動。これでもう蚊に悩まされなくて済む。次来る時は、日本から持参しようと思うほどだ。

 

 

 

懸賞生活のなすびに似た男と少し嫋やかな話し方が特徴的なジュン君とレストランで同席。ちょっといかつい雰囲気だったが、なすび君とは話した事があったので、ついついそのテーブルに飛び込んでしまった。着地したのは、葉っぱとアクセサリーが話題の中心という全然違う世界…「ひえぇ、なんか場違いな所に来ちゃったなぁ…」と後悔しながら「えーい、こんな奴らの話2度と聞く機会無いやろ」と積極的に聴く。

 

 

 

2人で盛り上がるアクセサリーの話「このリングはインドでこーたん?」「そーやなー、ほななー、インドで1番これは良かったーっていうアクセサリ、何かあるー?」「これさー、中にワイヤーが入ってるんだよねっ」「へー、そーなん、で、これ、どういうふうに自分使うんー?」あまりにも興味が湧かないので「いつこのテーブル抜け出そうかなぁ…」と考えていると「これにまつわるいい話があってさ、ちょっと長いよ、別に頷かなくていいからさ、聞いててね」チャンス到来「長なりそうやし…」

 

 

 

散歩中(朝食後)に柿田さん(香川県綾歌郡出身)と偶然の再会(カニャークマリ以来)。日焼けによる脱皮は完了しているようだ。香川県出身者と香川県遠征者の出会い、必然うどんの話になる。彼が「お寺の88箇所巡りのようにうどんにも88箇所巡りいうのがあって…」と言った時、私は自分の素性をばらす快感にどきどきした。

 

 

 

「僕ね、巡礼達成者なんやわー(えへ)」「ほー、若いのに…」「いや、寺のほうちゃう。うどん、うどん」柿田さんは中村が好きだという。また柿田の親父さんは長田と同じダシが作れるらしい。もしそうだとしたら香川は私にとって余りにも強大だという事になる。「何からダシとってるん?」と身を乗り出して聞く私。香川で住むとしたら何処がいいか尋ねると、東讃(人柄が良い)か宇多津を挙げた。宇多津ね…。

 

 

 

今日もいつものように、ビニールシートとスイカ1玉をビーチに持ち込んで日光浴。スイカは1玉10ルピーと格安、真ん中のしゃくしゃくしている美味な部分だけ食べる贅沢も、ここでなら許されそうだ。「スイカの食べかす(皮)でビーチが汚れてしまうからあまり良くないかなぁ…」と甘っちょろい事を考えていた私の傍に野良牛がやってきて、皮を凄い勢いで食べ始め、やがて食べ尽くし、そして去って行った…。

 

 

 

「うん、行ってきたー。ポンディシェリーまでなー。むっちゃ疲れたわー。でもなー気持ちええよー」バイクに跨ったままのジュン君と出会う。彼のようにインドで100キロもの距離をバイクで往復するのは私には無謀だ。しかし原付は乗りたいぞ。田園風景の中、ノーヘルで走るのは最高に気持ちいいに違いない。そしてマハーバリプラムはそんな私の要望を叶える絶好の近郊「ティルカリクンドラム」を擁しているのだ。ちなみにレンタルサイクルの場合には「タイガーケーブ」が距離的にお薦めだ。

 

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マハーバリプラムのビーチはインド人のうんちにより評価が下がったが、バターボール周辺は美しい夕陽により評価が上がった。「あと何回、俺はここの夕陽を見れるんだろう……」後に私はこう思うようになる、その日没を初めてじっくり見たのがこの日であった。日本の生活で、純粋な「日没鑑賞」だけの時間を割けるだろうか?と思うと、やはりこれは貴重な時間だ。とその時「コンニチワー。コンバンワー。マリファナー?」と爽やかに爽やかで無い物を売りに来るインド人。大麻を嗜む人は共通して眼が濁っているというか潤んでいる気がするが、私もそんな目をしていたのか…。

 

 

 

柿田さんと夕食。彼と一緒に行動して、その愛想の良さに驚いた。インド人は概ね日本人に好意的で、彼はその好意に好意でお返しする。彼自身認めるように、それは海外だからこそ可能なハイテンションのおかげだ。その結果、彼はショップ店員やホテルスタッフらと仲良くなり、しかもその人数も増えていった。私はそれに巻き込まれるという訳だ。だがそれは私にとって新たなマハーバリプラムの楽しみ方となった。

 

 

 

カシミール人の店で、店主・フランス人マダム・柿田さんを交えて、世間話。なんで南インドにカシミール人がいるかというと、オンシーズンだけの出稼ぎみたいな感じで来ているようだ。そろそろ今年のシーズンは終わりで、里帰り間際特有の楽し気な雰囲気が漂っていた。彼らの営業スタイルは、店の前に椅子を出して座り、のんびり会話を楽しみながら、或いは、ぼんやり過ごしながら店番しているという感じだ。そこに私らが通りがかれば、必ず呼び止められ「まぁ座れ!話そう」となるのである。こういう関係になった店が徒歩5分程の間に4、5店あるので「気付けば数時間話していただけ」というのもありえるだろう。でもそれでいい、次の目的地はもう無い。

 

 

 

柿田と「ニューパピロン」で朝食。トマトサラダ・レモンラッシー・食後にチャイ。

 

 

 

柿田とビーチで日光浴(スイカ持参)。岩場に敷くシートといい、スイカといい「こいつ!自分のスタイルがあるなっ!!」と思わせたに違いない。そういえば、彼は私がキャスターバッグをごろごろ転がして旅しているのを見て驚いたそうだ。私も、他の日本人に影響を与えていた事があったかもしれない、自分自身の知らないうちに。

 

 

 

柿田と彼の泊まっているホテルで昼食。その後、柿田とタイガーケーブへサイクリング。「俺ってこんなに長い間、団体行動(2人やけど)してて大丈夫なんやなー…」

 

 

 

タイガーケーブ見学後、汗だくで解散。シャワーを浴びた後、日課の夕陽鑑賞への道中で、またまた柿田と遭遇。彼と何処かで出会いここで再会したというカップルも一緒だ。「夕陽」or「食事会」私は後者を選択した。これが今この街での過ごし方。

 

 

 

柿田は相変わらず朗らかによく喋る。しかし、喋る内容は全然朗らかでは無かった。「税務署で喧嘩した!」「自動車教習所で揉めて払い戻しで更に揉めた!!」「無免許運転で逮捕された!!!」余りにタイプが違いすぎて、お互いインド以外で会う事はまず無いだろう…と思うと、今日丸1日一緒に行動したのが不思議に思えてくる。

 

 

 

カップルは京都精華大学の4回生で就職活動の合間の息抜きで遊びに来ていた。偶然にも帰国便が(クアラルンプールまでは)同じだった。私に近しい京都や香川の人々との出会いに恵まれ、かつては会話に苦労していた事すら忘れて、ただ楽しかった。

 

 

 

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