インドの話 2_18

 

この日、ドミ滞在者2人から貴重かつ奇妙な霊体験を聴く機会を得た。その2人とは以前高熱で倒れていた高橋さん(32)と、彼を看病していた病気で苦しむ人を思いやれる女性(22)だ。彼らはマザーハウスで日々ボランティアに励んでおられるようだ。因みに、私は今のところそのハウスに最も縁遠い人の1人だ、申し訳ないが。

 

 

 

その霊体験の話は衝撃的だった。ドミのベッドで静かに本を読んでいた時、隣のベッドからこんな会話が聞こえてきた。「うん、妖怪と一緒に住んでたよ。子供の頃、白川郷に住んでいた時期があって、そこであかなめを見た」「妖怪はいるよ、大人には見えないだけで。トトロもいるし」「福井の山奥のお寺では、まくらがえしを見た」

 

 

 

「よよよよーかい?」話にお邪魔して聞いていると、彼女は宗教・民俗関連の知識が豊富で「トトロは実在しまーす!」みたいに軽い冗談で言っているのではない事に気がついた。こんなディープな日本に詳しい人と海外で出会うのが不思議なくらいだ。

 

 

 

実は、あまり行く気にならないままバングラデシュへ向けて出発した。インドもだろうが、バングラデシュもものすごくはっきり好き嫌いが別れる所だとよく言われる。ガイドブックを見ても好きになりそうな予感が全くしなかったのは、きっともうそういう未来なのだろう(笑)。事前に知りえたバングラデシュ情報をまとめてみると。

 

 

 

外国人観光客が少ないので、外国人はすごい注目の的。ただ歩いているだけでスター並みの人だかり。首都ダッカ、エコでド派手なサイクルリクシャーが夥しいほど走っているのに、大気汚染は深刻だ。道路は常に交通渋滞。土地柄、国土はよく沈む。多くの川に橋はない。フェリーで渡ろう!車はフェリーに乗るのに1時間は行列する。

 

 

 

バングラデシュで心打たれる事、それは人の優しさだ。親切な人々が「今日はうちに泊まっていけ!」「いや、うちだ!」と競って誘ってくれるという。多くの人々に宿泊のお世話になった旅人は、対価を支払う事なく非常に良い思い出を得た事だろう。

 

 

 

さてそれでは一体、私はどういうふうに感じるんかな?という(期待なき)興味はある。入国手続きを済ませて、ベナポルという街に入った私は「ホテル」「ダッカ行き長距離バス」のどっちでもいいから探していた。ノープランというより「攻めながら守る」というやつだ。先にバス停を発見した。いきなりダッカか、結論は早そうだ。

 

 

 

朝4時ダッカ到着。こんな時間に着いた旅行者にどうしろというのだろう。とりあえず1時間ほど歩いてホテル「ALRAZAQ」に。チェックイン記帳時、父親の名前を記入する欄が。宿泊もしない父親の名前を尋ねられるのはムスリムならではか?

 

 

 

昼まで熟睡。起床と同時に窓越しの下界から気配というかエネルギーを感じる。きっと地上では人々が犇めきあって、その摩擦熱が渦を巻いて立ち昇ってきているのだ。見下ろすと道路に溢れんばかりのサイクルリクシャー達が衝突しながら蠢いていた。気圧された私は、街に飛び出したものの、呼吸器系が心配と偽りすぐ部屋に戻った。

 

 

 

街歩きは最悪だが、人々はフレンドリーだった。バングラデシュで唯一訪れた名所ピンクパレスで出会った青年は、尋ねてもいないのに自分の誕生日を教えてきて「僕の誕生日には手紙を送ってくれないか?楽しみに待ってるよ」と積極的なアプローチ。

 

 

 

街歩きは最悪だが、食事にも恵まれた。ホテル1階のレストランで食べたチキン料理はおいしくて2日連続注文する。油断して生の野菜サラダまで食べてしまっていた。

 

 

 

私がバングラデシュでどうにも受け付けなかったのが映画ポスター。インドと同様に映画は主要なエンターテイメントだと思うが、どれもこれも「何これ?」というような眩暈がしそうなポスターデザインなのだ。インドとバングラデシュの映画ポスターはどこがどうとかよく分からないけど、似て非なる気がする。片方は好きなのに、片方は生理的に耐え難い。そういえば、それは映画ポスターだけじゃなく、サイクルリキシャーもだなぁと気が付いた。いいかげんうんざりした私は夜行バスを手配した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方、日本語を話す事が出来るおじさんに声をかけられた。彼は日本渡航歴があり、今も日本企業とビジネスをしているらしい。「私が日本にいた頃、日本人はみんな親切だった。お礼に私はあなたに親切にします」と言って、色々プレゼントをくれた。

 

 

 

おじさんが私 財布 ハンカチ チキンバーガー リクシャ運賃 ライチ 音楽CDにくれた物品 Tシャツ 小鳥の置物 ミネラルウォーター デリヘル嬢(断った)

 

 

 

早朝、バスはベナポルに到着した。ダッカに続いて、ここベナポルでも親切なおじさんとの出会いに恵まれた。彼もまた日本渡航歴があり、日本語を話す事が出来た。ちょっと違うのは「久しぶりの日本人を離してたまるものか!」という執念を感じる点だ。彼は私を狭い自宅へと連れ込んで、滔々と語り始めた。彼はお金が必要だった。

 

 

 

「日本で稼いだお金を元手にこの地でレストランを始めたんだが、経営に行き詰まり全てを失ってしまった。今ではご覧の通り廃墟さ。だが、私は必ず再起する!新しいプランも用意してある!あとはそう、マネーだ。まとまった資金が必要なんだ。以前のように日本に行って稼ぎたい。ビザ…!ビザが欲しい、おおう、ビザが欲しい!」

 

 

 

次は中古車の輸入販売を始めたいとの事だが、この廃墟と化したレストランを見せられては、とても成功するとは…。「いろいろやってみる事ですよ」と言いたいが「私はインビテーションを差し上げるつもりは無いよ。今まで何回もそういう事を頼まれてきた、正直きりがない。あなたはここで地道に再建を志したほうがいいのでは?」

 

 

 

そうこうしている間に昼前になった。私は眠たくなっていたので、予定変更、ベナポルで泊まる事を告げると、おじさんがホテルまで案内してくれた。そのホテルはローカルすぎて、自分1人では絶対発見不可能な宿だったので、他に泊まる当ての無かった私はとても感謝した。夕方、おじさんと息子が遅めのランチを差し入れに来てくれた。出会う人々みんなが親切な「OMOTENASHI」の国バングラデシュ。「だからまた来よう!」とはならんが、礼儀として15年ぐらいは悪く言わないでおこ。

 

 

 

昼過ぎまでおじさんの所で談笑。「日本に行きたいんだったら、日本人と結婚するのが近道なのでは?」と冗談ぽくアドバイス。それなのに、たまたま居合わせたおじさんの姪っ子2人がとても綺麗だった。彼女達がいつか誰かにランチのルームサービスを届けて、恋が始まる…そんな超展開になればおじさんの夢は叶うのかもしれない。

 

 

 

カルカッタに戻ってきたこの日、ついに日韓ワールドカップが開幕した!!大会に縁のないサッカー後進国インドでも、ワールドカップは大人気だ。ちょうど駅前の街頭テレビ(といっても大型ビジョンの類ではなく太平洋戦争後の類)で「フランスVSセネガル」開幕戦を中継していたのでインド人に混ざって観戦。インド人さん、みんな熱心に観戦しているけどどうせ「セネガルってどこ?」ってレベルなんでしょう?

 

 

 

昨夜、肥満体した愛国的インド人と口論になった。アメリカを猛烈に憎んでいる彼はアメリカべったりの日本も非難する。こっちの言い分を言おうとすると、田原総一郎さん並みに大きい声を出して発言を遮る。私「Let me speak! 」「……なんか上うるさくない?」屋上のレストランから1階下のドミの皆さんに丸聞こえだ。

 

 

 

彼はさも嬉しそうに「10年後だ、10年後にワシの言葉を思い出して後悔するだろう!」と予言する。彼によると、10年後にはアメリカは没落していて、アメリカべったりの日本はパニックに陥っているのだ。「それはそうかもしれんけど、それだけの事をそんな嬉しそうに予言すんなよ!!」と思ってしまう。インド関係ないのに。

 

 

 

「 余計なお世話だ!!That’s none of your business !!」と即答したかったけど無念。このイディオムは、使った事は無いけど知っているという受験英語の典型だ、活きた言葉では無い。日本人の教育課程に無い「ディベート」に更に不自由な「英語」もアペンドされては完敗だ。「英語と6年付き合ったが全く喋れないままでしたってそれでいいの?」とどうしたらあの時気付けたのだろう…。

 

 

 

2週間ほど続いていた喉の痛みは治まった。しかし、今日はネットカフェ・本屋・中華料理店とエアコンの効いている屋内にばかりいたせいか鼻風邪をひいてしまった。

 

 

 

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( 1 ) 高 橋 さ ん

 

 

 

奈良県天川村で山伏さん(元やくざ)のお手伝いをしていた。「ここには呼ばれた者しかこれない、何故だ?」と尋ねられたそうだ。私「日本帰ったら天川行ってみよ」

 

 

 

昔、友人達と車2台である心霊スポットに向かっていた。同乗者に霊感の強い友人が1人。目的地が近づいてきた時、その友人が顔を引きつらせて「前(の車)追い越して止めさせろ!引き返すぞ、やばい!」「?」スピードを上げようとして、ギアチェンジをした瞬間、左手に巻きつく髪の毛のような感触。前方道路沿いに明かりが見える、クレープ屋台だ…。深夜2時なのにクレープ…?それは彼のみならず、他の友人達にも見えたようで…「なんでこんな夜中に…?おかしいよね……?」車内に恐怖が漂い始めた時、1番霊感強い友人が泡吹いて卒倒してしまった!「!」パニックになる車中で、全く霊感の無い1人だけが「どこよ!どこ店あんだよ!クレープ屋ァ!」

 

 

 

( 2 ) 女 の 子

 

 

 

たまたま壇ノ浦に立ち寄った時、琵琶を弾きながら「祇園精舎」を唄い始めたら、声が聞こえてきて…(霊が)寄って来ちゃったの…。でも、琵琶法師の話を知っていたから、唄を途中で止める訳にも行かなくて…。同調してもダメだし…。私「???」

 

 

 

私の妹が今高校1年なんだけど、最近陰陽道に凝って、シキガミかってとばしてたの(?)。私が日本を発つ時、心配してお札をいっぱい送ってきてくれたわ。でも最近妹は失調気味。これは精神科系なのかお祓い系なのか、ちょっとよく分からないの。

 

 

 

霊感は生まれつきの体質とは限らない。24歳で発現した方もいた。街中のお稲荷さんは怖いから近寄らない。ストリッパーは古事記の時代から霊を呼ぶとされている。

 

 

 

私ね、昔、縁を切りたい方がいらっしゃって(思いっきり失礼なのに尊敬語表現してて笑えた)鎌倉にある縁切り寺に3日間通った事があるのね。そしたらその方2ヵ月後に自殺してしまって…。人を怨んだら、その代償を支払わなければならないわ…。

 

 

 

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