インドの話 2_1

 

インドを含むスリランカ・ネパール・ブータン・バングラデシュへの旅。頑なに北インドを避けつつ、今回も南インドを起点にして南北に長く展開するルートを旅した。

 

 

 

いわゆる「自分探しの旅」で本当の自分なんて「見つからない、それは逃避…」と習っていた。私が北インドを避けているのも、ただ単に、怖い・疲れる・心が荒むからそう思っていた。もし北インドが安全なら行くの?という無意味な想定はしなかったが「あれ?行きたいとは思わないかもなぁ…」と今なら思う。明確な動機の有無に関係無く、今まで選んできた国内外の旅先を重ね合わせてみると、少なくとも「自分は何を求めて旅しているのか?何に魅かれる人間なのか?は見つけられた」気がする。

 

 

 

南インドのチェンナイ空港に着いたのは、前回と同様午後11時ごろだった。ダイレクトにスリランカ着の旅程を組んでも良かったが、まずチェンナイに行き、現地でコロンボ行きのチケットを調達する事にした。そのほうが多少安くなる計算だった。去年無事「インド45日」の旅を終えた私は、今回「予算管理」を強く意識していた。

 

 

 

空港のリタイアニングルームで翌日のフライトまで過ごすつもりだったが、泊まるには翌日のチケットを提示する必要があった。空港スタッフのおじさんがフロントに交渉の電話を入れてくれたが「ダメだ、やっぱりチケット持ってないと泊まれない…」

 

 

 

スタッフに教えてもらった空港最寄りのホテルへ行く為には、真夜中12時のタクシーに乗らなければならない。これは危険な匂いがする。どこかに同乗してくれる日本人…と探す必要は無かった。何故ならば、乗客に日本人は私1人だけだったからだ。

 

 

 

旅のスタートにおいては、最大限に警戒しておいても慎重すぎる事は無い。タクシーには運転手と私だけ乗って、彼の友達だという男性には命令?して降りてもらった。

 

 

 

ようやくホテルにチェックイン。やっぱりインドは疲れる。でもそれは空港に到着した瞬間から分かっていた事だ。「なんか全てが体にまとわりついてきやがる感じ…」

 

 

 

午前8時に迎えに来るように手配をしておいたタクシーは7時半に着いて、きっちりウエイティングチャージを上乗せして請求してきた。形作りの交渉の末「OKOK」と支払う。粘り強く主張する事だけでなく適切に諦める事も、段々身についてきた。

 

 

 

スリランカまでのフライト4850ルピー。まぁこんなもんか、という価格。前回の初めてのインドと違って、今回はお金を気にするほどにはまだ精神的に余裕がある。

 

 

 

飛行機は遅れたものの、気にせず寝ているうちにいつの間にか着いた。コロンボ行きのバス停まではすんなり辿り着けた。しかしなかなかバスは来ない。タイムテーブルには15分おきに来るような表示になっていたが、1時間以上も待つ破目に。タクシー運転手のアドバイス「しばらくバスはこないよ」は本当だったのだ。「やって来ないバスは無い!」から「ほんまにいつ来るんだろ?」と不安になっていく私とは対照的に、堂々と余裕たっぷりに待つスイス人家族3人組がかっこよくて印象的だった。

 

 

 

ヒッカドゥワは、コロンボの南鉄路2時間ほどの所に位置するスリランカ屈指のビーチリゾートだ。新鮮なシーフードでもてなすレストランが並び、ボートやダイビングなどのマリンスポーツ・アクティビティも充実している。そして何より西洋人がそこらじゅうにいっぱいという「俺はお呼びではない?」というほど華やかな所なのだ。

 

 

 

 

私の泊まるゲストハウスはそんなビーチからローカルバスで15分のところ、アクララという所にある。夜になると静かなのだが、実は昼も静かだったりする。「いいのかなー。流れとはいえ、華やかなリゾートからこんなにかけ離れた所に宿とって?」いや、良くないだろ。明日から始まるダイビングスクールは、バス通学だという…。

 

 

 

実はコロンボ駅で、今からヒッカドゥワに行くという時、セナというおじいさんに声をかけられて、場所もよく確認せずそのまま連れてこられたのが、このゲストハウスだったのだ。おじいさん、人柄が良さそうだったので、流れに任せる事にしたのだ。

 

 

 

ゲストハウスには、イスラエル人男性・イングランド人女性・かわいらしい子供の3人組がすでに滞在していた(後に、夫婦でなくて友人だと判明して「どういう旅行なんだ?」と疑問が残る)。去年と違って今年はいきなりインターナショナルだなぁ。

 

 

 

さわやかな青空を窓越しに見上げながら、室内でダイビングの教材ビデオを1人きりで見る。しかも言語は英語だ。たまにインストラクターが部屋に入ってきて「アンダースタン?」と聞いてくるが、ところどころしか「アンダースタン!」していない。

 

 

 

ビデオ終了。テキスト(日本語版)を借りて帰る。これが無いと死ぬ可能性がある。

 

 

 

宿に戻る前にヒッカドゥワを散策。バスでわざわざ来るんだから、十分見てから戻りたいというものだ。けれど、この街は広すぎた。途中で引き返す。アクララも大概不便で好きじゃないけど、この街の喧騒も好きじゃないなー、というぐらい街はざわざわと落ち着かない。いつのまにか私に並ぶように歩いておじさんが話し掛けてきた。

 

 

 

話しているうちにそのおじさんの家に行く話になった。そして、さらに話しているうちに、彼の家でご飯をご馳走してくれるという話になった。そして、さらにさらに話しているうちに、私が彼の子供にミルクをプレゼントしてあげるという話になった。

 

 

 


去年は45日いて1度も一般人の家でご飯食べた事無いのに、今回は4日目でこんな方向に進んでしまった。そういうのと最もかけ離れて然るべきビーチリゾートで…。

 

 

 

ダイビングスクールは午前中だけ、しかもまだ浅瀬でのみのレッスンだ。今のところ全くワクワクする兆しが無いが、これでいいのだろうか…?自問はまだ尚早だろう。

 

 

 

宿に戻った後、自称アーティストが布製品を売りに来た。全然買う気の無い私は、英語の練習も兼ねて話を脇に逸らしてばっかりだ。そしてとどめに「アーティストが私みたいな貧乏な旅人に生活を助けてくれなどと言ってはいけない。いつの世もお金持ちがアーティストを育ててきたんだ」というような事を英語で教えてあげた。皮肉な事に、後日私はインドで別のアーティストにお金を無心される事になるのだが……。

 

 

 

ここは、セナのおじいさんをはじめ、家族全員、従業員もみんなとてもフレンドリーだ。昼間はなにかと疲れるヒッカドゥワ、夕方ここに戻るとやたら落ち着く感じになるのは当然の事か。不便な立地にもかかわらず、結局10日以上滞在してしまった。

 

 

 

 

今日は3回ダイビング、2回目はボートで沖まで出た。そして今日は2回船酔いし、3回目は水中酔い。インストラクターは、まるで私の嫌いなウインドーショッピングのように、買うつもりもないのに上下左右あっち行ったりこっち行ったりしていた。

 

 

 

フラフラしながら宿に帰って寝込んでまもなく「 Dinner is Ready!」のコール。食後「明日ダイビングやめ!朝飯もいらん!」と固く決意して再び寝る。

 

 

 

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